酒を飲んでいるがゆえの後ろめたさがなくなると、矢でも鉄砲でも持ってこいー! てな気分で生きられるよね、という話。

酒やめて、1984日。

freedom

後ろめたさに覆われた人生を生きてきたのだった(悔恨)

ちょっと前に「飲酒習慣があると「後ろめたさ」が人生すべてを覆ってしまうよね」といったことを書かせていただきました。私の場合、飲酒していたがゆえにずっと後ろめたい人生を送ってきたわけですよ。そこから離れられた今、しみじみ思うのは、そうしたものに覆われた人生はやっぱり「失われた時間」であり、それについての悔恨たるや半端ではありません。

飲酒習慣があると、後ろめたさが常につきまとう。これはもちろん人にもよるのでしょうけれども、ただ、俺は飲める人間だ( -`д-´)キリッの輩にしたところで、一見堂々と飲んでいる感はありますけれども、そもそもそういうことをアピールすること自体、後ろめたさがどこかにあるのでしょう。本人が意識しているしていないはともかく。でも意識してなければただの馬鹿という気もしますけれども。

ともあれ、酒やめてからはそのような後ろめたさから解放されたわけです。感じるのは、そのようなものがない人生はめちゃ軽い、ということですねー。そしてこのブログのタイトルでもあります「酒はやめた。だからもうこわくない」をそのまんま実践できていて、幸せというのとはちょっと違うけれども、その解放感たるや飲んでた時代から想像もつかないものであります。

こんなにも人生、自由だったんだ!

これまた以前も書かせていただきましたが、酒飲んでた時代は、重い荷物を背負って歩いていたわけですよ。徳川家康さんじゃないけど、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」です。まあ勝手に飲んだくれていて、何を身勝手なこと言ってるんだ、というレベルではありますが(苦笑)。

ただ繰り返しますけれども、それから解放されたというのは、山登りをしていて重い荷物をどっこいしょと下ろしたときの気分に似ています。以前、伊丹十三さんの話を引用させていただきましたが、「身体がチリチリと宙に浮くような不思議な感覚にとらわれる」であります(参考「飲酒時代に背負っていた荷物は、もう再び担ぐ気にはなれません」)。ちなみに伊丹十三さんが背負っていたものは、酒を飲む後ろめたさではなく「(前の奥さんとの)結婚生活」でしたけれども。

ともあれ今は、誰はばかることなく自由に身軽に生きられる。矢でも鉄砲でも持ってきやがれー! てな気分であり、こうして、あくまで気分としてはですが、堂々と生きられるというのはやっぱり意味深いと思っております。それが自信や自己肯定感につながり、人生を好転させてくれる原動力になるからです。まあ私の場合、やめた年齢が年齢だったのでなかなか上手くいかない部分もありますけれども、それでも「手応え」は感じる。若いうちにやめられれば、その効用たるやさぞや、ですよね。

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