酒は社交の感覚を狂わせるよね、という話。

酒やめて、1926日。

drinking party

どーせ自分が飲むんだから!

私はセミリタイヤ系のブログが好きで、なかでも「りゅーざき」さんの『セミリタイアのきわみ』は軽妙な自虐が面白く毎回読んでいるのですが、興味深い記事がありました。「友情を取るか、金を取るか」です。

大学時代の友人と久しぶりに会うに当たってお金がかかるのが負担で悩む、といった内容です。そんなことで悩むのは「僕の腐った人間性が光り輝く」とりゅーざきさんは自虐していますが、いやいやいや、この感覚は私も酒やめてから非常によくわかります。

逆に飲んでた時代はそんなこと、考えたこともなかったのです。

というのは、まあ友人に会うというのは基本割り勘ですよね。で、アル中時代の場合、誰かに会うとか、あるいは飲み会とかではなくて、一人でも毎晩のように飲みに行っていたのですから、金銭的負担はまるで同じなのですよ。話し相手がいる分、多少楽しいといったところでしょうか。でもあくまでも「酒」が主で「誰か」はプラスアルファでした。

だから誰かと会うにあたってお金を払うのがもったいないという価値観がまったくなかったのですね。繰り返しますが、どうせ一人だって飲みに行くんだから。

そして仕事の飲み会に対しても、その考えは及んでいました。私らの世代の場合、会社員時代は会社の飲み会でお金を払うなんてことはなかったけれども、フリーランスになってから、あるいは昨今の風潮では、やはり会費制だったりします。でも会費制で不毛な飲み会だからといって、どーせ自分は人一倍飲むんだからそんなに抵抗はなかったのです。ただし、飲んでる人、それも相当な大量飲酒者でも、もったいない意味ないんだよねと言っていた人はいました。「見えていた」と思います。

行くか行かないか、酒抜きで普通に考えればよかったのだ!

で、冒頭のりゅーざきさんは悩みます。友情を取るかお金を取るか(どっちを取ったかは先のリンクをご参照ください)。それが普通ですよね。セミリタイヤを目指していようがそうでなかろうが。

お金を払って意味があるかないかを天秤にかけて、それで意味があると判断すれば参加すればいいし、お金(のセーブ)を優先したほうが妥当と判断したら参加しなければいい、という至極当たり前の判断をみんなしていますよね。りゅーざきさんもそうします。

ところが酒を飲む習慣があると、昔の私のようにその会に意味があろうがなかろうが、酒以外のことに考えが及ばず、で、調子に乗って二次会三次会、正常な判断のもとに帰ろうとする人を引き留めた挙句に嫌われ、自分も財布の中がすっからかんみたいになってしまいます。酒ってまったく社交感覚を狂わせるんですよ。

今でもそういう人はいますよ。金ない金ないとか言いながら飲み会だけは律儀に(?)参加し、今週も2回外飲みしたあー、とか、自慢なのかなんなのかわからないけど、そういうことを公言している人が。その人の場合、飲み会に行き、そこで自己確認できるということなんでしょう。酒以外のプライオリティがはっきりしている分だけ、昔の私よりはマシかもしれません。もちろん見習いたいとは思わないけど(苦笑)。

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