酒やめて、1834日。
み~んな、暇になってしまったのだった!
最近、高校大学時代の友人と会ったり集まったりする機会が多くなっています。なぜかといえば、み~んな暇なんですよ。退職した人間もいますし、働いていても要職からは外れています。就業時間中に呼び出しても、「いやいやいやいいんだいいんだ俺なんかいないほうが会社のためだ」などと本気とも冗談ともつかず言っています。
そうじゃないのは医者か、会社員だったら取締役、役人だったら局長以上になるのでしょうけど、そういう連中とは高校時代からあまり付き合いがありませんでしたから。考えてみれば、あの頃から人生ある程度「分類」されていたのですねー(苦笑)。
で、私のようなフリーランスの人間も仕事が少なくなっていますので、暇なことには変わりがない状況ではあります。
ともあれ、昔の仲間で集まると気づくことがあります。飲む人間、飲まない人間がここにきて鮮明になっていることです。
これから社会に出る「飲まない人」は快適ですよ
もちろん高校時代はみんな公式には(?)飲んでなかったのですが、大学に入ると飲める飲めない、好き嫌いに関わらず、だいたい先輩から飲まされます。そして飲む。で、就職しても、それが商社だったり建設だったり広告代理店だったりすると、文系総合職なら「飲むのが仕事」になったりします。我々1960年代生まれ世代からすれば、それは当然でした。
そこで酒を覚えて、すっかり酒好きになり、そのうち自分が飲ますサイドに回りアル中あるいはそれに近い状態まで突き進む人間もいれば、そういう時期を経た上で自分が偉くなって、酒は強制しないし、飲み会も率先してはしないといったタイプになる人もいます。後者の場合、「飲まされた時代は難儀だった……。閑職になって仕事上の酒と無縁になって本当にラクだ」と感慨するのです。一方、前者が閑職になったときは……、いや、それは言うまい言うまい(苦笑)。
では、と考えてみます。たとえば今、大学生でそんなに酒が好きじゃない人は、どうでしょうか。サークルにおける強制飲酒は社会問題になっていますし、大学サイドも、我々の時代にはカルトや危険な宗教に対してセンシティブでしたが、そうしたものの脅威が小さくなっている今は、やはり「酒」というものを敵視……というとおおげさですが、その害について敏感になっています。早稲田大学の構内飲酒全面禁止などは象徴的ですよね。あの隈飲み(大隈講堂の前で飲む)のワセダが、ですよ。
そして社会も同様です。商社に就職したやつなどは、俺らが上司からやられたことを今部下にやったらパワハラどころか下手すりゃ警察案件になるんじゃないか、と苦笑いします。それぐらい大きく社会は変わっています。
つまり今は、あんまり酒好きじゃないなあという人が社会に出ていくにあたって、そこそこ快適な環境が待っていると言ってもよさそうです。そして快適ではない組織に忠誠を誓う意義はもちろんメリットも限りなく小さくなっていますので、逃げ出すのも簡単であると一応は言えるでしょう。つまり我々世代の酒好きじゃない人間が、閑職あるいはリタイアしてはじめて得られる快適さを、社会人でいる間、ずっと貫けるようになっているわけですよ。
そこへ持ってきて一昨日も書いたように、酒は一滴でも飲むと脳はもちろん心臓にもよくないということにあいなりました(参考「酒飲まない人大勝利~♪ のエビデンスがまた一つ。今度のはかなり強力のようです」)。この辺の理解は急速に進み、常識化するでしょう。
また国の財政的にも、酒税と飲酒起因の医療費を天秤にかけると医療費が重たいことは間違いありません。一方、酒造会社に支えられたテレビなどは最後まで酒の毒には触れず、またぞろ昭和な芸能界の大御所が「酒悪うないで悪いのは酔っぱらいや」といういつものフレーズを繰り返すかもしれませんが、もはやメディアやコメンテーターの言うことは、少なくともある年齢以下の人には負の影響力のほうが大きいでしょう(例:「朝日新聞がそう主張するってことは、日本にとって良くないことなんやな」)。
というわけで、酒飲まない人大勝利〜♪ の世の中にいよいよ突入しつつあることをもう一度、ここに確認しておきたいと思います。
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