酒やめて、1484日。
生存に有利な形質が逆に不利になっている!?
今日は、断酒ブログの分際(?)で、ちょっと大それたことを書いてみたいと思います。
脳科学者の中野信子さんが、人間が不安や悲観、あるいは嫉妬など、いわゆる負の感情を持つのは、それが人類の歴史において生存のために有利だったから、といったことをおっしゃっています。そういう感情が強い人間が生き残ったから、その遺伝子が受け継がれてきたということですよね。
そう考えると、今の世の中は、遺伝子勝ち組集合体ということになります。ところがそのような遺伝子がもたらす形質(感情は脳の働きだから「形質」といっていいと思います)が、現代の社会に合わなくなってしまっている。時代の激変ぶりが急すぎて、人類の、強められた遺伝子と社会の齟齬が、いろんなところで顕在化している。そういうふうに言えるかもしれません。たとえば鬱の問題もその一局面のようにも見えます。そして酒は不安や悲観、さらには鬱状態をもたらす源泉です……、と話が先走りし過ぎました。
ともあれ、そうした自分の感情をどのようにコントロールするかということに関する本が、本屋に行けば山ほど並んでいます。つまり、自分の感情と社会状況に齟齬を感じている人も山ほどいるということなのでしょう。なんて他人事のように言っていますが、私もその一人です。
酒ともう一度向き合わなければならない時代がやってきた!?
さて、断酒ブログなので酒の話なのですが、お酒を飲むことも緊張した頭をほぐす、高度に発達しすぎた脳のご機嫌を取るといった意味で、あるいは獲得形質と言っていいものなのかもしれません。
もちろん生水が飲めない地方では、お酒、とくにワインを薄めて飲んで水分補給していた結果、そういうものを飲んでも酔っ払わずに働ける形質の持ち主がサバイバルし、結果的にヨーロッパ人は酒に強い体質になったと言えるのかもしれません。
日本の場合は生水が飲めたので、そこまで酒に強い遺伝子が生き残らず、結果的に酒に弱い民族になったのかもしれないけれども、ただそうして飲まずに働いてきたことが、日本を世界の中でも生産効率のよい国に押し上げたのではないかという珍説も以前書かせていただきました(参考「日本人が勤勉である理由は「水」にあった?」)。
ただ、今は、真面目に働くことイコール労働生産性を上げることではなく、あるいは民族性とITとの親和性が高くないからなのかもしれませんが、日本は先進国の中では最低と言われる労働生産性になってしまっているのはご存じの通りです。
ともあれ、このように獲得形質と酒ということは微妙に絡んでくるのですが、人間に対して求められる資質というものが、繰り返しますが今、明らかに変わってきています。それはIT化さらにはAI化を背景にしたものなのでしょう。
AIに仕事が奪われるなどと言われますけれども、そんな単純な話ではなく、生活や仕事にAIがどんどん浸透してきた結果、そのAIと共存するために、人類はこれまで何千年間にわたって獲得してきた生存に有利な遺伝子を捨て、新たな形質を獲得しなければならないというふうに思ったりもするんですよ。大げさで大変申し訳ありませんが。
そして酒を飲むということとも、当然ながらもう一度向き合い直さなければならない。なにしろ先に触れたように、酒は不安や悲観といったものをもたらす元凶ですからね。そしてそうした感情が強い人が生存に有利な時代は終わったのかもしれません。新しい時代に対応するための新しい「形質」の一つが酒を飲まないことであると、私はある種確信しているのですが、なにか?(参考「今の人類を宇宙人の視点で見てみると、いろいろ言い得ておもしろいという話」)。