酒やめて、1374日。
ランコースはリア充たちの巣窟だった!
酒やめてから、何しろやることがないので走るようになりました。といっても週に2~3回各5キロ程度ですけど。ただ、走るのは楽しいです。ダイエット効果は食事(制限)と組み合わせないとあまりないと思われるので、単純に走ることが目的になります。
ちなみに近所の大学の構内を走っていると、外国人の教員も結構走ってますね(コロナ前)。ダイエットのため、健康のためというよりも、もう走ることそれ自体が目的になっているように見受けます。つまりランジャンキーなわけですよ、たぶん。このことからも、ランが飲酒の代替行為として、その能力が高いことがわかります。
いつも書いてるように、ランは脳内快楽物質を出すために行うものであり、走ったってつまんないだろうという人(私も昔はそうでした)に対しては、まあやってごらんなさいというしかありません(笑)。
そうしたランですが、私がコロナ前まで借りていた仕事場の近くに、都内でも有名な河川敷ランコースがありました。そこはランコースとしても大盛況なのですが、それ以上に盛況なのがリア充の場として、です。ぶっちゃけデートスポットですよね。
関西のデートスポットに鴨川の河川敷があり、そこにカップルが等間隔で並ぶのは有名な話ですよね。で、「ええやん」「あほ」(この場合の「あほ」は「ええよ」という意味らしい)といった会話が行われることがよくギャグネタになります。その都内の河川敷も似たようなものなのかもしれません。
また、こうした恋人たちの他にも、いかにもセレブな感じの家族がボルゾイとかアフガンハウンドみたいなセレブな大型犬を連れて散歩させたりもしています。おそらく近くのショッピングセンターの駐車場に、ゲレンデヴァーゲンやカイエンでやって来ているのでしょう。道狭いのに。
で、走っていると、そういういかにもリア充な人々に出くわすわけですよ。走り始めたばかりの頃、つまり酒をやめたばかりの頃は、「リア充、〇ね!」という気分でした。
なぜ「リア充〇ね!」じゃなくなるかというと……
ただ、酒やめてしばらくすると、そうしたリア充を憎む(?)気分がどんどん消失していくんですね。こういう心持ちの変化は自分でも不思議なほどです。
「リア充」というのは、要は世間の一般的な意味での「幸せの定義」じゃないですか。高校生くらいの時は、今でいうところの陽キャじゃなきゃいけないとか、家族を持ったら、子どもにラルフローレン着せて私立中学に、みたいな同調圧力がベースにありますよね(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。
もちろん今は、そうした同調圧力に押しつぶされるような生き方はバカバカしいというふうになりつつありますが、酒をやめると、本当に他人や世間の基準などどうでもいい、というか、自分は自分といった気分がものすごく高まってきて、世間が提示する幸せというものに対する執着心がまったくなくなるのです。
なおかつ幸せ感じ取り能力自体も発達してきますので、ますますもって世間でいわれるところのリア充っぽい幸せでなくてもいいのですよ。この辺は非常に不思議な心理です(参考「酒やめて幸せになれるかどうかわからない。しかし幸せを感じ取れる能力は確実に向上するという話」)。
こうした心理状態を手に入れることができたのも、酒やめて楽になった、その一局面ではあります。