酒やめて、1008日。
先日、私が仕事をしている業界(?)の懇親会というものに出席しました。私はその手の席はあまり好きではなくたいていは出ないのですが、今回はどうしても話を聞いてみたいキーパーソンが来ていたので、参加したわけです。
参加者の1/3が酒飲んでない!
その懇親会では最近では珍しく酒が出されました(残念ながらコンパニオンはなし)。で、当然ながら私はウーロン茶をお願いしました。
そして出席者を観察するに、酒ではなくウーロン茶かオレンジジュースのグラスを持ってる人が、3分の1程度もいるんですよ。これはちょっと意外でしたねー。
後日、その手の懇親会が多いだろうなあと思われる業界にいる友人と会ったとき、そうしたことを訊いてみましたが、彼も普段はお酒を飲むのにもかかわらず、懇親会では飲まないと言っていましたね。これが世間の常識なのかもしれません。
同時にもし私が飲酒時代、いや過飲酒時代、いやアル中時代に、このような酒を出してくれる場に出席していたら……、と若干怖くなりました。
なにしろタダ酒です。アル中はタダ酒にはまったくもって目がないんです。とくにその懇親会はなんとシャンパン(むろん、正式なシャンパンではなくてカヴァかなにかなんでしょうが)が置いてあり、私は泡好きでは人後に落ちない自信があったので、おそらく泡飲みまくりという下世話な事態に陥っていたでしょう。
だからひとつ言えるのは、過飲酒というかアル中は、こういう席でも品性を落としてしまい、それが業界に広くバレてしまうということです。
飲まないからこそ気づくこともあった!
また、懇親会で酒を飲む、あるいは飲まないということにはもうひとつの側面があると、あらためて気づきました。
私などはその手の懇親会で人脈をつくるといった「陽キャ」あるいは「パリピー」ぽいことができないわけですよ。だから黙々と酒を飲む。酒を飲むしかやることがない。
ちなみに、ヨーロッパの上流階級の子弟が通う学校では、マナープロトコルの一環として、この手のパーティーで「ぼっち」にならないためにはどうすればいいかという教育が行われるそうです。これがほんと教育ってもんですよね。まったくもってうらやましい……。
それはともかく、そうした会で酒を飲まないとどうなるか。
まず、酒を飲んでいる人たちを観察できるということがあげられます。もうこの時点で謎の上から目線になってるわけです(笑)。「わいは飲んでないんやでー、だからあなたたちよりは真面目に取り組んでいるんやでえー」と。
だから上手くコミュニケーションできなくても、あまり気にならない。「ぼっち」でも酒レスだと「圏外感」があって、しかもそれは自分のなかでは「圏外の上」(笑)ですから、余計気にならない。そして目的だけ果たしてさっさと帰ってればいいという思いが持てるし、なにしろ飲んでないので、切り上げるのはいつでもいい。
で、断酒者としてつらつら振り返るに、今までは、酒を飲むからこそ交流が苦手になっていた。
いわゆる「錯覚帰属」というやつです(言葉の使い方違うかも)。酒を飲むからこそコミニケーションの中に入らなければいけない。その交流が苦痛だった。しかし飲まなければそうした輪のなかに入らないなくてもいい。あくまでも「圏外」から参加し、懇親会などのイベントを純粋に「機能」として利用できる。な~んだ、簡単なことだったじゃないかと思いますねー。
先にあげた友人は、そのことを知っていたのかもしれません。逆にいえば、過飲酒野郎というかアル中野郎は、酒を飲むことに目が眩んで(?)、そんなことさえ気つかなかったということになります。まったく愚かなことです。