「飲んでる場合じゃない」で酒やめる→社会状況が見えてくる→ますます「飲んでる場合じゃない」になる。

酒やめて、2162日。

3steps

健康上よりも社会的理由で酒やめたのだった

私事で恐縮ですが(個人ブログなんで私事ばかりだが)、私が酒をやめた直接のきっかけはアルコール性低血糖で倒れたことにあります。て、この話も何度も書いていますが、そのときは入院を勧められたのにもかかわらずなんとか帰してもらい(診察中も、とっとと帰って飲もうと考えていた)、さあ飲めるぞーと冷蔵庫に手を掛けたとき、そういや飲み仲間の一人が酒やめるために教育入院でもしようかて言ってたなあと思いだし、そいつに電話してみたら1ヵ月ほど前から酒やめてるっていると聞いてそれならちょっと俺も、と思った次第であります。

直接のきっかけはそういうことなのですが、なんとなくやめなきゃいけないなあとは、心のどこかでは思っていたのです。それは健康上というよりも、社会的にもうかなりやばくなっていたからですね。

仕事で信頼を裏切ったりとか、そういうことが重なっていて、このまま飲み続けてたらいつか破滅するだろうと思ってました。また、そろそろ老後のことも考えなければいけないのに準備もできておらず、正直飲んでる場合じゃなかったわけですよ。そういうことがベースにあり、だから自分の断酒は、いわば社会的断酒だと考えております。

ただしこの時点では、それは個人的な問題でした。

自分は飲んでいて大丈夫な人間か否か

でもって酒をやめると、ですね、もうほんとに酒飲んでる場合じゃないということがどんどんわかってくるわけですよ。もちろん断酒者の常として自分に都合の良い情報ばかり集めてそれをモチベーションにするという「手法」はあるのですが、そうしたバイアスを取り除いたにしても、酒飲んでる場合じゃない社会状況だということがどんどんわかってきます。

逆に言えば、それまでは、酒さんによってそういう状況を理解するのを遮られていたのでしょう。

ともあれ、私が酒やめてからほどなくして政府が年金のほかに2000万円自分でで用意しろと言い出してますし、また副業や投資奨励だとか、年金生活者なら仕事しても年金減額しないとか、要は死ぬまで自分で稼げ政策を打ち出してきたわけですよ。

そうしたときに一番重要になるのは、いつも書いていて恐縮ですが「脳」というものであり、酒はその脳を身もふたもなく攻撃し能力を奪っていきます。さらにそれが社会的な常識になるにつれ、酒飲んでいる人間=脳の力が衰えている人間とみなされるようになります。この点も実は怖いところです(参考「飲酒習慣があるということはもうそれだけで、社会的にディスアドバンテージになる時代がやって来た! かも?」)。

私などはアル中時代、自称適正飲酒者から、お前はアル中だから脳が委縮している! と言われていましたが(実際、そうだろうが)、その輩がどこからか聞きかじる程度には流布しているわけですね。

話を元に戻せば、今、社会の多くの人が、老後も含めた自分の将来は自分で構築しなければならない社会状況になっている。そうしたなかで、飲み続けていたら詰むということが、どんどん明らかになっている。

そして、このような状況に立ち向かうには、とりあえず酒をやめるのが実は一番簡単な方法だということもわかってくるのですよ。

でもって、先ほどの適正飲酒者のように、俺はまだ飲める(特別な)人間だというかましてくる輩もいて、客観的に見てそういう人ほどやばいんじゃないのという思ったりもしますけれども、それは余計なお世話なのですね。

とにかく、社会的時代的な状況×自分の置かれた立場の「×」で、今年も断酒を続けたいと考える次第であります。

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