消費するものから貯蓄するものへ。酒やめて、自分にとっての「時間」の意味が180度変わりました。

酒やめて、3088日

飲酒は半端なく時間を奪うよね(今さらですが)

ちょっと前に「「なんで酒飲まないの?」「なんで酒やめられたの?」と訊かれたら」という話を書かせていただきましたが、その中で、酒飲まない理由として、ほんとに実感しているのは「時間がもったいない」だとしました。そのように言うと飲んでいる人に対するディスリになるので、実際に口にするのははばかられるところです。

ただ、これは酒やめた理由というよりもむしろ結果ですよね。もともと時間がもったいないから酒やめたわけではないし、それは多くの断酒erもそうでしょう。しかし酒をやめると、これが非常に大きな意味を持つことは、これまた多くの断酒erが痛感していることと思われます。

このブログでも散々言及しておりますが、酒さんの時間奪取能力は大したもので、飲んでいると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいます。むろん、飲んだ後の「使い物にならない時間」はもっと大きい。

このことを突き詰めれば、時間、すなわち人生を消費あるいは浪費したくて仕方がない人は酒を飲めばいいということになりますよね。カロリーを摂りたくて仕方ない人はコーラを飲めばいいのと同じ理屈です。

私の場合、酒やめた時点では、このまま飲み続ければ詰むなという思いがありました。まだ仕事もしなければいけなかったし、子ども学費負担などもあったからです。だから酒をやめざるを得なかった。

ただ、断酒を決意したその時点では、子どもが自立し、こちらも年金をもらえるようになったら、また酒飲んでもいいかなというふうには考えていました。断酒はいわば時限立法(?)だったのです。

しかし、子どもも自立し年金ももらえるようになった今でも、再び酒を飲もうとは思いません。政府自民党が暫定であるはずのガソリン課税をいつまでも続けるのと同じです(今、選挙対策で「廃止を議論」と言っているが、ご主人である財務省様の許可は取ったのだろうか?)。

とても酒飲む気にはならないのだった

それは断酒している過程で、時間というものが、いかに貴重であるかということがわかったからです。こういうことって12歳とか15歳とか18歳とか、受験勉強期に気づいて、それを一生の宝にしなければいけないものなのに、ジジイになって気づくとは愚かしくも悲しいことではあります。

その愚かしさをとりあえず棚上げして、話を続ければ、断酒と時間(の有効利用)はめちゃ親和性が高い。単純に「使える時間」が倍化するからでもありますが、時間というものを自分のコントロール化に置けるというのも大きいと思います。

つまり、「ああめんどくせえなあ」という姿勢を日常から排除できる(参考「「めんどくさい」を人生から追放できたのはほんとに大きい」)。なので、やらなければいけないタスクをサクサクとこなせる。そしてそのサクサクとこなす原動力というかモチベーションになるのは「時間を貯蓄できる」ということです。

私の場合、サクサクやって時間が余ったらそれで好きなことができる――主にサーフィンですけれども、そういうふうな思いでいつも生きていて、それが定着してしまったという感じです。私の中では超絶革命です。

いや、こんなことは多くの人が意識するしないに関わらず普通にできていて、そうしたことで成功体験を持っている(それこそ、中学受験する子が「勉強が終わったらゲームができる」みたいに)のに、ジジイになってから気づきやっと実践できたとはマジ馬鹿なのですが、それだけに時間があることのありがたみをひしひしと感じていますわ。ジジイで先が見えていて、なおかつ「終活」なんていう時間がかかることもしなければならないから、そのありがたさやなおさらといった側面もあります。

ともあれ、浪費するものから貯蓄するものへと時間に対する意識が変わった。そしてそれができるのは酒飲まないからこそ、だと思えば、とても酒を飲む気にならないのであります。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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