「なぜテレビがやらせになってしまうのか」から導き出される人生の指針とは

酒やめて、2774日。

報道番組までがやらせっぽくなっとるやん(悲)

またぞろテレビの話で恐縮ですが、社会問題化した感さえある「24時間テレビ」の是非について、着服事件はもちろんですが、やらせのことも過去にさかのぼって取り沙汰されています。

テレビとやらせは切っても切れない関係のようで、80年代終わりには景山民夫さんが『クイズダービー』について小説仕立てにした告発(?)をしていて、たいそうおもしろく読ませていただきました。

また時代をさかのぼれば、川口浩探検シリーズのような番組について「テレビが撮影に行ったくらいで、そんな新発見ができるのだろうか?」と疑問に感じたりもしていました。もちろん大人たちはやらせだと分かっていたのでしょう。当時のプロレスと同じようにそうと知りつつ楽しんでいたので、それほど罪深いものではなかったのかもしれません。

しかし最近では報道番組にもやらせ的な演出が入り込み、視聴者のパニックを煽る内容が増えているのはご存じの通りです。このような状況では、やらせ(ぽい演出)が真実と混同される危険も当然ながらあります。テレビのこうした姿勢は、「テレビが言っていることは本当か」とクリティカルシンキング(?)する人を生み、一方ではそのまま鵜呑みにする人もいるので、人類の分化を促すものと言えるでしょう(大げさ)。

さて、なぜテレビでやらせが起きるのかというと、時間の制約ということが大きな要因であると思われます。ここでYouTube番組との違いが際立ちます。このことはたとえば釣り番組同士を比べてみると明らかです。

テレビの場合、スケジュール=時間の制約があるため、その制約のなかで、たとえば松方弘樹さんが確実に大物を釣る保証があるわけでもないでしょう。そして釣れなかった場合、①他のこと(釣りの周辺情報や観光情報など)で盛り上げる、②やらせで釣れたことにする、の二択になると思われます。いずれにせよ演出になるわけですよね。

「時間のチート力」を活用したい!

一方、YouTubeの釣り番組では、釣れるまでの過程をそのまま見せるのが基本です。製作者は素人(収益的にはプロかもしれませんが)なので、テレビと違って時間だけはたっぷりある。だから釣れるまで撮ることが可能になります。またYouTubeではやらせが露見したときの炎上リスクも高いので、ほとんどのクリエイターが素直にコンテンツをつくっている印象です。こうした「時間のチート力」が、YouTubeコンテンツに説得力を与える要因となっているようにも感じます。

時間と継続は、まさに「素人の核弾頭」であり最大の武器です。そしてそれが、ネットというインフラを得てプロのつくるものを凌駕している、というのが現在の状況ではないでしょうか。テレビよりもYouTubeのほうがよほどおもしろいというのはもはや常識ですし。

ともあれ時間というもののチート力は、今の社会においてはますます増大している。一方、時間を奪う最大の敵は「酒」です。だからこそ、酒を飲まないことは、現代において大きなアドバンテージであり、人生の指針となるのではないかと勝手に考えています。

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