来るべきsociety5.0の時代には、酒の居場所なんかないんじゃないかという件。

酒やめて、1085日。

https://www.jeita.or.jp/japanese/pickup/society/index.html

酒を飲むのも疲れるよ、エネルギーが要るよ、という話は、このブログでさんざん書いてきました(たとえば参考「酒を飲むのにも、膨大なエネルギーが必要なのです」)。それは、こうしたことを回避すること、つまり「疲れたくない」という思いが、断酒の大きなモチベーションになっているからです。ただ文章力のなさもあって、いまひとつ書ききれてない感があるので、今回もその点について書かせていただきます。またかと思われる方もいるかもしれませんが、ご容赦ください。

酒飲まないと、社会に出て行けない

「酒飲むのも疲れるよ」は、私のなかでは「酒飲むと疲れるよ」とは微妙に異なっています。後者は、純粋に身体的な疲れ、ですね。これは経験上、確かにあります。もちろん飲んでいるときは楽しくて疲れなど感じるはずもありませんが、翌朝、その疲れがどっと出る、ということは、アル中者ならずとも過飲酒者ならどなたも経験していると思います。肝臓が解毒でフル活動していて、他にエネルギーを回す余裕がない状態ですね。

このような状態は、実は身体だけでなく精神にも影響を及ぼし、もう生きているのが本当に 辛くなります。「自分の居場所は世の中にこの布団のなかだけ」てな気分なのです。それでもなんとか自分を奮い立たせて出かけなければならない、人に会わなければならない、そんなときに思い浮かぶのは「酒」です。よたよたと冷蔵庫まで行ってストロングゼロを取り出し一気飲みすると、ようやく世の中に立ち向かう勇気が出てくるのです。あ、昔の私の場合ですけど。

もちろんこんなことをいつもやっていると、社会的に死にます。そしてこの「社会」となんとか折り合いをつけていくことすなわち「酒を飲むのも疲れるよ」になるのです。

飲酒と社会生活との折り合いをつけるための諸々で疲労してしまう

当然ながら、酒飲んでいても、アル中であっても、社会というものとお付き合いしなければなりません。そこで、俺はアル中じゃないのでお付き合い願いますアピをするために、服装に気をつかったり(参考「場末のせんべろに、ロレックスにサントーニでやって来るLEON男の心理とは?」)、嘘をついたり(参考「酒やめて「嘘をつく」面倒くささから解放された!」)しなきゃならないわけです。あるいはもっと直裁に、仕事で飲む場合は、酔っ払うのがわかっている状態でも、なんとか失言だけはしないようにしなきゃならない、言質をとられないようにしなきゃならない。これがものすごーく疲れる。それが「酒飲むのも疲れるよ」ということです。

だから、たとえば楽隠居している人なんかは、もう何も気にせず飲めるわけですから、それはそれで超幸せです。マタンゴ島でマタンゴ食べてマタンゴとして幸せに生きる(参考「あなたの顔から生えているマタンゴ、他の人に見えてますよ!」)、みたいなもんです。あるいは優しい理解のあるダンナ様がいる主婦で、もう子どもにも手がかからない、というケースもそれに該当するかもしれません。ただし主婦というか女性の場合、肝臓の大きさが男性に比べてかなり小さいので、「幸せに飲める」期間も短くなってしまいます。

えーとなんの話をしていたかというと、「酒を飲むのも疲れるよ」でしたね。つまり、社会と酒を折り合わせていくのは「疲れる」。こうやって考えていくと、今の社会と酒は相性が悪い、ということも当然ながら言えそうです。

今、世界はsociety5.0に突入しようとしているわけですよね。もしかしたらsociety3.0(工業社会)くらいまでは、酒は社会のなかで、コミュニケーションの助けになったりと、重要かつ効果的な役割を果たしてきたのかもしれない。society2.0(農耕社会)までは、それこそ「ワインはイエス様の血」だったりもしました。ただ社会のなかの、とくにコミュニケーションというものが変容するにつれて、だんだんと役割が小さくなっていった。端的に言えば、「酒でも飲んで腹を割って話そう」ではなくなってきた。来るべきsociety5.0では、もしかしたら完全に「要らないもの」になってしまうかもしれません。

そのこと、つまり社会と酒との不適合性を生きながら証明しているのが、我々、アル中者の進化系であるところの断酒者なのです(自画自賛)。

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