酒を介した人付き合いにエネルギーというリソースを割くなら、別のことに使いたいよねという当たり前の話。

酒やめて、1214日。

GUが韓国撤退だそうです。その前に日産が撤退するというニュースもありました。日本製品ボイコット運動が広がりすぎて商売にならなくなったのですね。

企業の論理としては、うちらが嫌いなら嫌いでええ、うちらは他のところにリソースを割かせてもらいますわといったところでしょう。

付き合いたくないヤツとは付き合わないが得策な世の中に

もちろんそうした韓国の反日は昔からで、進出企業はそれなりにやりにくいところがあったと思われますが、それを上回る利益があったからこそ韓国で商売していたわけですよね。そのバランスが大きく崩れたのだから、じゃあそこまでして付き合うことはない、は、しごく当然の結論です。

そして、こうしたことはもう個人についても言えるんじゃないでしょうか。こっちを嫌ってる人間やこっちが嫌ってる人間とは、天秤かけてよほどのメリットがない限り、付き合う必要はないんですよ。

というと、なにを当たり前のことを、あるいはそういうわけにもいかない、なにを甘いことを、と思われるかもしれませんが、ただ、今回のコロナ禍を通じて実感したのは、そんなに仕事上のコミュニケーションって大切なことなんやろか、ということです。

なんでも日本以外の国では、いわゆるお客様窓口というのが超クール(冷淡という意味でのクール)で、「お客様は神様です」みたいなことはないし、「お客様」もランク付けされていて、“太客”以外はまともに相手にしてもらえないという、CDを買った枚数でお話できる時間が決まるアイドルの握手会方式なんだそうです。これも当然といえば当然、ですよね。

で、今回、老害のクレームなどで日本の小売業全体が疲弊したといってもいいと思いますが、そうした客は相手にしなくていい、というよりも、そうした客を相手にしなきゃいけない職で疲弊するのは、人生の収支バランスを考えたとき、あきらかに損である、ということを、多くの人が確認したかたちになりました。

自分とそりが合わない人間と付き合うにはエネルギーが必要です。そして今までは、会社だからとか仕事だからとかで、そこにエネルギーを割いてきました。でも案外それって必要ないんじゃないかと、みんな気づいてしまったのですね。

嫌なヤツと付き合うのなら、そのエネルギーを別のことに使えばいい。それが人生を発展させる。漠然とですがそう思いますし、それが今、人類の常識になりつつあり、コロナによって加速した、と勝手に決めつけさせていただきます。

人付き合いで人生のリソースを損なうなかれ!

たとえば退職代行という仕事があります。友人の娘さんもこれを利用して会社を辞めたそうです。

自己都合の退職にあたってはエネルギーが必要ですよね。でもそのエネルギーを別のことに振り向けた方が結局人生得なんですよ、きっと。だから退職代行という仕事があり、それを利用することは、単に言いにくいことを言いたくないからという感情を超えた、人生に対するもっとエフェクティブな機能があります。「いつまで対人関係で消耗しているの」を解決する合理的手段です。

ちなみに、新司法試験で弁護士の数を増やそうとしたのも、もちろん利権もありますが「日常の細かなトラブルも第三者に任せる」社会へ、という構想(?)があったのは間違いありません。今はまったく上手くいかず、弁護士という職が地に堕ちた感もありますが、いずれ、コミュニケーション代行業というかたちで機能しはじめるのでは、とは思っています。

ともあれ繰り返しますが、嫌なヤツと付き合うにはエネルギーが必要であり、そのエネルギーのまったくの無駄遣いです。そしてそこに酒が絡んできます。

仕事上の付き合い酒みたいなもので、酒を飲んでいるのにエネルギーを使うみたいなケースは結構あるじゃないですか。いや、私の場合、飲酒時代は気がつかなかったのですが、飲まなくなった飲み会で、なんか嫌なヤツ……とまではいかないまでも、めんどくさい人間にいろいろ気を遣ったりしてると、ほんとに無駄なエネルギーを使っているなあ、そしてそれは自分の人生のリソースを毀損していることにほかならないなあ、と感じるのですよ。そして明日書くつもりですが、人生で使えるエネルギーの総和はたぶん決まっていて、その一部を割くなんて、マジでベニスの商人に肉を切り落とされる気分ですよ。

ひとたび酒を介すと、そういうことがめちゃ多いということです。やっぱり酒やめてよかったなあと思ってしまいますわ。いつもの結論ですが(笑)。

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