酒やめて、2994日
飲むことイコールブレスト!?
タイトルですが、実際にこのようなことを断酒erの私に向かって報告してくる輩がいます。SNSなどで発信するのも痛いちゃ痛いけど、まあありの範疇です。しかしわざわざ電話で、ピンポイントで言ってくるのは、やはりマウントを取りたいからでしょうね。性格の悪い断酒erの曇った心による僻みかもとチラと考えたけれども、その輩は常々、お前はもう飲めないけど俺は楽しく飲めると言っているので、おそらくそうでしょう(笑)。
マウントを取りたい人間、取りがちな人間はどこにでもいるもので、このような形態で発露する場合もあるということですね。
では、その輩がトクトクとするところの「昨晩は〇〇仲間と酒飲んで有意義だった」が果たして真実かどうかなのを、マウント取られっぱなしでは悔しいので、ここで検証してみたいと思います(性格悪い)。
「有意義」というのは、仕事についていろいろ情報交換もできるし新しい着想も得られるということなのでしょう。これは私にもわかります。私にしたところで飲んでいた時代は、飲むことを「ブレスト、ブレスト」とか言っていましたから。同じ仕事をする仲間で飲みながら話すことによって何か仕事に役立てようというわけです。
旧い価値観が仕事の足を引っ張ってしまう!?
しかし断言しますが、役立ったことはただの一度もありません。素面の時にブレスト(今気づいたんだが、これももはや死語?)をすれば、その成果は仕事に使えたりもしますが、酒の上では絶対駄目です。だいたい酒席で何かわかったようなことを言って、自分でも俺すげーと思ってしまうことはありがちですが、これは当然ながら酒がそうさせているだけで、まあ、葉っぱがお札に見えるのと同じですね。仕事に着地できないことばかりであったりします。そうしたことは私もめっちゃ経験しています。愚かしいことですが。
まあ後、酒の上ですることといえば、人の批判ですよね。いわゆる「やつの仕事が荒れた」の類であり、そうしたことで自分のポジションを認識し自尊心を満たすことが「〇〇仲間との有意義な時間」に含まれるのでしょうし、私もそうでした。愚かしいことに(二度目)。
でもって、従前からそうだったのに、生成AIの出現によって、今や対人ブレストの価値が限りなく低下しています。AIとブレストした方がよほど有意義だということをほとんどの人がわかってしまったのが現状でしょう。
ところが酒を飲んでいると、冒頭の輩の例のように、「仕事仲間との酒を介したコミュニケーション」を必要以上に価値あるものと認識してしまいがちです(何しろマウントの材料にするくらいだから)。
ただし今は、そういう価値観からいかに脱するかという「勝負」になっていますよね。
いや、誤解のないように言っておきますが、社会的に「飲んでも大丈夫」な人が、たとえば「このウルメ固いよね」など無害(?)なことをしゃべりつつ飲む分には、申し上げることは何もないのです。ただし、こと酒に仕事がからむと、その価値は相対的に低下しているばかりか、間違った認識をしてしまい、それが自分の仕事を「荒れた」にしがちなのではないかということを言いたいのでございました。余計なお世話ながら。
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