「稼ぎに追いつく貧乏なし」ではなくなってしまった世の中で、どうサバイバルしていくか。

酒やめて、2868日

「節約に追いつく貧乏なし」への一大転換!?

ここのところ、働いて稼ぐことのプレゼンスが極めて小さい世の中になっているという主張をさせていただいております(参考「マネーリテラシーが人生ハックに昇格しようとしている今、ますます酒飲んでる場合じゃありません」「「仕事に全振りしてる場合じゃない」は「酒飲んでる場合じゃない」」)。まったくねー、五公五民と言われる状況のなか、働いても働いても残らない感は非常に強いです。まさに江戸時代の農民と同じような状況です。

そうした中で、課税されない新NISAや「収入から控除される貯金みたいなもん」のiDeCoの意味が大きくなり、政府もまたもう給料だけで生活しないで投資しろや~と言ってるわけで、まあそんなことは私のようなものが今さら声を大きくするまでもないことですが、ただ、そうした世の中の構造的な変化というのものをひしひしと感じてしまいます。

断酒ブログ的に言えばもう一つ大きいポイントがありまして、やっぱりそれは小さく暮らす、ミニマムに暮らすということですね。これって案外大きいのではないかなあと感じる次第であります。すなわち「稼ぎに追いつく貧乏なし」の反対で「節約に追いつく貧乏なし」の方が正解……とまでは言えないまでも、そちらの方が生き方として賢くなりつつある。

節約するというよりもライフハックですよね。頭を使って生活を組み立て、そこで浮いたお金で、税金を取られないお金の増やし方のタネ銭にするというのが、求められる生き方というかサバイバル術でしょう。そしてここに関わってくるのがやっぱり酒さんの問題ですよ。

いよいよ「酒は貴族の飲み物」の世の中に

すなわち、酒を飲む暮らしをしていると生活が大きくなってしまうのですね。家で毎日安い缶チューハイを一杯だけみたいな生活であればいいのでしょうけれども、なかなかそうはいかない。「飲酒ライフ」は外飲みも含めて余計な社交を抱え込むし、精神的にもやっぱりパリピ指向になり、生活が大きくなりがちということはいつも書かせていただいております。

このいつも書かせていただいている「事実」を五公五民と言われる世の中に重ね合わせてみると、すべての人が当たり前のように酒を飲めるという時代ではなくなっているという「真実」が浮かび上がってきます。

大きな生活ができる人だけ飲めばいい、すなわち酒は貴族の飲み物です(参考「「酒は貴族の飲み物」を自覚しないと、どんどん没落しちゃうよという話」「酒は貴族の飲み物であること、飲酒は貴族の習慣であることを、改めて確認しておきたいと思います」)。

ただ現実には、飲みながら「金がない金がない」と言っている人もいて、昔の私もまさにそうでしたけれども、それは生き方として非常に矛盾している。いや、昔なら、それでもよかったという側面はあったでしょう。ただ、もうそんな生き方が多くの人にとって許されない世の中になってしまったという感をマジ強くするのですよ。五公五民だし(しつこい)。

そしてそういう世の中になる前に酒をやめておいてホントによかったと感慨深くする次第であるし、むろん今からだって遅くないでしょう。

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