酒やめて、1498日。
「自分だけは違う」がパチンカー心理!?
私に仕事を振ってくれている会社の社長は、今時珍しいかもしれませんがパチンコ好きです。で、前にも一度ちらと書きましたけれども、彼に訊いてみたことがあります。今、コロナであちこち大変でパチンコ屋も当然あまり出さないようにしているのだろうけれど、結構前に並んでいたりするし、なんでみんなパチンコに行きたがるだろうね、と。そうすると彼は、「いや、自分だけは違う、自分だけは勝てると思うんだよねー。それがパチンカーの心理というものです」と自虐的に答えたのでした。
こうした「自分だけ」という心理は、あるいは人間誰しも持っていて、中野信子さんじゃないですけれども、今までは適者生存のためにある程度必要な資質だったのかもしれません。でも今は違いますよね。社会に生きている人みんなが「メタ認知」ということを意識しなければいけない時代です。自分を正当に評価し、ストロングポイントとウィークポイントをきっちり仕分け、その上で生きていくことが重要だとされています。教育現場などでは、こうしたことが声高に言われています。
今、パチンコに行っている人はそれができていないということになります。というとパチンコしている方から文句が出るかもしれません。それはパチンコするときだけだよ、と。いや、そうなのかもしれませんが、そういう心理というものは、えてして行動すべてに及びます。その人の本質になってしまい、それが怖いなあと思うのですよ。と、エラソーに言ってますが、「自分だけは」という心理はアル中にも共通するもので、それを知り尽くしているからです(苦笑)。
自己正当化がすべてに及ぶから怖いのですよ
そう。アル中はまさに「俺は違う」が口癖になり、心の奥底に根付いてしまいます。得意なセリフは「あいつはアル中だけど俺は違う」ですね。この辺のことは、このブログでもさんざん訴えてきました。なぜなら私はその「あいつ」というターゲットだったからです。アル中の中でも最底辺だったということです。とほほ。でも、だからこそ見えたのかもしれません。そうしたことから、強制的に「メタ認知」させられていたのかもしれませんね。まさに、俺は底辺のアル中だと。
ともあれアル中は、あるいはその予備軍はとにかく飲みたいがために自分だけが違うんだと言い張るのです。
そして、それが飲むときだけならいいけれども、やがてすべてにわたって自分が正しい自分だけが特別ということを主張したがるようになります。繰り返しますが、飲むことを正当化するだけでなく、仕事や生活のいろんな局面に「俺だけはー」が顔を出す点が、やっぱり非常に怖いところだと思うのですね。
それは「メタ認知」とは対極にあるものであり、独善です。そして歳をとってくるとそうした独善に拍車がかかるというわけです。また若い人の立場でいえば、他人様よりも早く「頑固爺」になるということです。そう考えると、今の時代の趨勢や要求されるものに逆らってますよね、飲酒というものは。あらためてそう思いますよ。