誰かのための人生のタームが終わり、自分のためのタームに突入したのだから、やっぱり酒飲んでる場合じゃありません。

酒やめて、2286日

子育て期が終わった頃に酒やめたわけですが……

このブログでもさんざん書いてきたことですが、酒をやめるとは、人生における、時間と経済力とエネルギーを拡大させることだと私は思っております。

とくに経済力については、これまたたびたび書かせていただいていますが、酒をやめると生活がミニマムになる、自分の頭で考えて生活をダウンサイズできることが理由としてあります。アル中→断酒の大先輩である小田嶋隆氏の『上を向いてアルコール』に

(前略)アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えるということで(後略)

といった一説がありますが、いやいや、まさにその通りだと思います。

さて、こうした断酒によって生まれた時間と経済力とエネルギーですが、まあ経済力については私の場合たいしたことはありませんし、エネルギーについても、爆発的に活力が生まれる~なんてこともないのですが(もうジジイなので)、まあ時間だけはあります。この「自分で裁量できる時間」をたっぷり持てることの自由な感じは半端ないです。

またまた引用で恐縮ですが、ジジイ世代のバイブル(?)である『深夜特急』(沢木耕太郎著)の第一巻の最初のほう、すなわち旅に出たばかりの頃の著者の感慨として以下のような一説があります。

今日だけでなく、これから毎日、朝起きれば、さてこれからどうしよう、と考えて決めることができるのだ。

いやーまさに「ほんそれ~」ですよ。

そしてこのようなことは、私の場合、誰かのためにお金を稼いだり、時間を費やしたりというタームが終わった、つまり子どもが独立し、まあ恥をさらすようですが、その母親もいなくなったことも関係しています。

他者のためにやめられる人がうらやましいのだ!

そういう特殊事情(?)なので、だからこのブログ全般に書いていることも参考にできない部分が多々あるとは思うのですが、個人的なことを言えば、そして人間は自己正当化の権化だと言いますから自己正当化すれば、そうしたタームが終わった時にちょうど酒をやめられたというのは、やっぱり運命的なものを感じます。

今は、酒をやめて生まれる時間と経済力とエネルギーをすべて自分のために使えるわけですわ。

冒頭のタイトルにもありますが、人間はおそらく誰かのために、時間と経済力とエネルギーを捧げて生きるのでしょう。でも私の場合、幸か不幸か、それが終わってしまった時期に酒をやめて、その三つを得ることができた。全部使える。繰り返しますがここに運命的なものを感じます。巡り合わせが良かったのか、悪かったのか――。

もちろん誰かのために生きなきゃいけないタームに断酒していたらどうだろうとも考えます。それについては後悔もあります。その辺についても書かせていただいているところです(参考「親の過飲酒は、子どもの経験チャンスを奪う」)。

ですからTwitter断酒部の皆さんがお子さんのために何かできた、酒やめて嬉しいみたいなことを書かれていると、ほんとにうらやましく思います。

結局のところ、「よそはよそ、うちはうち」で諦めるしかないのですが、ただ、一言言えるのは、他者のために酒をやめられて時間と経済力とエネルギーを拡大できる人は、いずれ自分のためにやめて良かったときが必ず来るということですよね。

なーんだ、やっぱり早くやめるに越したことはないじゃないか、という結論なのですが(苦笑)。

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