酒やめて、1077日。
今朝、車に乗ってエンジンかけたら車の搭載AIみたいなやつが言うんですよ。「おはようございます。今日は1月16日。禁酒の日です」
禁酒法という壮大にして愚かな社会実験
昨年までは、私はカーナビもついてない車に乗っていました。ダッシュボードには1DIN(懐)のカーオーディオ、そこから伸びてきているiPOD接続用のケーブルは30PIN(懐)という、まさに「懐」の二乗状態でした。
その車に以前、近所のガキを乗せると、そいつが、子どもが乗り物に乗ると必ずする例のあの質問をしてきたわけです(たまに大人でもいますがね、こういうこと訊くやつ)。「おじちゃん、あと何分で着く?」
以下、その会話の続きです。
「うーん15分くらい、いや、そんなにかからない、10分くらいかなあ」
「カーナビ見ればいいじゃん。えーと、げげげ、この車カーナビないの? う、ウケるう……笑笑笑」
「…………」
「うちのパパのアルファードなんかねえ、何時何分に着くか、カーナビが教えてくれるんだよおー」
叩き下ろしてやろうかと思いましたが、ま、これが生まれたときから携帯があったという、Z世代なのかもしれません。
さて、禁酒の日です。
これは、アメリカの禁酒法が批准された日にちなんだのものです。1920年、今から100年前の今日、お酒の製造販売が禁止されました。
もともとは、アル中の夫に嫌気がさしたばあさん(下)の過激な行動に端を発したそうですが、ごくごく大雑把に言えば、このように過激なものであったこと、そのわりには法律そのものがザルであったことで、密造酒が横行するなどかえって社会的混乱を招き、今では天下の悪法と言われています。生類憐みの令と同じですね。ただし、生類憐みの令が殺傷などはもってのほかという価値観を呈示し、斬った張ったのない世の中の構築に一定の貢献をしたという評価があるのに対して、この禁酒法は、失敗した壮大な社会実験とされています。
ここで断酒者として思うのは、禁酒法がもっとシステマチックに行われていたら、どうなっただろう、ということですねー。
ともあれ禁酒法は失敗したのですが、酒規制はやはり「人類の課題」と言っていいかもしれず、それは社会保障費の増大とからんでいます。
酒の存在にとどめを刺すのはたぶんAI電極だ
酒飲みが酒で勝手に早死してくれていた時代は、酒は社会不安のもとにはなっても、国家財政を圧迫することはなく、それどころか酒税によって財政を潤してくれていたわけですよね。しかし今は、明確に定義できないにせよ、酒起因の社会保障負担が酒税よりも大きいのは確かでしょう。そうなると規制も意味を持ちます。そしてそこには、代替物質の呈示が不可欠であり、禁酒法の時代は、それが密造酒だったのです。
現代における「代替」としては、カナダなどは大麻解禁となりましたが、ともあれ人間の脳は、快楽物質を出してくれる媒体(ビートルズいうところの「with a little help from my friend」ですね)を必要とします。そこで断酒志願者はそれを必死で探すのですが、たぶん「本命」はAIでしょぅねー。
ホリエモンなどは、僕らが脳に電極を刺さない最後の世代になると言ってますが、逆に言えば以降の世代は「刺す」んですね。つまり、AIによって自分の脳をコントロールできるようになる。快楽物質を出すことなんておちゃのこさいさいです(だと思う)。「パパのアルファードガー」のZ世代なんか、まさにそうなる可能性大です。
そうするともう酒など要りません。そのときが、酒の本当の終焉、全世界的な禁酒法の完成なのかもしれませんねー。
私などはホリエモンよりジジイなので、死ぬまで刺さない、刺すことができません。ですから断酒を続けるため、酒の代替を探し続け、今もその過程にあります。因果な世代なのか、あるいはAI電極のお世話にならない分幸せなのか。