飲酒習慣があるということはもうそれだけで、社会的にディスアドバンテージになる時代がやって来た! かも?

酒やめて、1134日。

長年、少量の酒ならむしろ健康に良いと言われていて、人類は酒と付き合ってきました。しかし最近の研究では、少量の酒さえも健康被害をもたらすことが明らかになり、これが医学会の趨勢になっています(参照「「酒は少量でも脳に影響」英オックスフォード大による研究の衝撃」)。つまり健康面を考えれば、飲まないに越したことはないわけですね。

飲酒習慣で脳が萎縮するは、もはや一般常識に

そして酒の健康被害で怖いのは、単に肝機能を低下させるとか、各種生活習慣病の原因になるという以上に、先にリンクした記事が指摘しているように脳を劣化させていくことです。ぶっちゃけ「酒飲んでばっかだと頭がお馬鹿になるよ~」なわけです(「酒飲んでばっかだと頭から毛がどんどん抜けていくよ~」も相当嫌ですけど事実でもあります)。でも、ですよ、もっと怖いのは、実はその先にあるんです。

このブログでも書き連ねてきたように、飲酒習慣はたとえそれがアル中や過飲酒と呼ばれるようなものではなくても、脳へのダメージを蓄積させ徐々に人間の理性を奪っていきます。これは社会的な評価も奪うということです。

もちろん酒を飲んで酒臭い息で会社に来たなんていうと、もう一発でアウトです。アル中はそういうことで生活破綻・人生破綻します。ただしこれはレアケース……でもないのですが、とりあえずそういうことにしておきましょう。こうした一発アウトの怖さを訴えるのがこの稿の趣旨ではありませんので。

ここで言いたいのはそうしたレアケース(?)ではなく、一般の酒飲みについてのことです。もはや今、酒を飲む習慣がある、酒好きだということでかなりの社会的にディスアドバンテージになってしまう時代なのだということを私は強く訴えたいのであります。

さまざまな研究によって、飲酒習慣は脳を萎縮させることが明らかになり、それは今や一般常識になりつつあります。するとどういうことが起きるのかといえば、そうした知識を聞きかじった連中が「酒飲みは脳が萎縮している」と声高に叫ぶ……まではいかなくても囁きはじめるのです。自分の周囲にいる酒飲みの脳が萎縮しているかどうかはわからないし、当然個人差も当然あるけれども、「一般常識」化すると、それを堂々と(?)指摘できるようになります。

このブログでも一度書かせていただきましたが、再掲すると、次のようなことが起こりえるんですね。

部長、彼は最近、ミスが多いし、仕事に対するヤル気も今ひとつですな。酒の飲みすぎなのでは……。

そういわれてみればそうだな。今度の人事でシベリア支局にでも行ってもらうか。

そうすりゃ好きなウォトカも飲み放題ですしなははははははははははははははは!

シベリア云々はともかく、今、コロナ禍で不景気に突入しようとしています。少なくともメディアは、おおいに煽っています。私は個人的には、すぐに克服されると思いますが、ただ、今は何事も自重したほうがいいのは確かでしょう。つまり人(ライバルや敵)に弱みを見せないということですね。そして酒は、その「弱み」に今や十分になっているということです。

繰り返しますが、ある酒飲み(たとえばあなた)の脳が実際に萎縮しているかどうかは関係ありません。その因果関係が一般常識化している時点で、もうそのように決めつけられるリスクがある、ということです。嫌な時代ですねー。

「酒による弱み」は見せないほうがいい!?

私自身も言われてましたもんね。酒臭い息で会議に出たことはさすがにないですが(あるかも?)、ただ酒好きだ、もっと言えばアル中だということは知られていましたので、ちょっとしたミスでもやはり飲酒習慣のせいにされていました。で、余談ながらそういうことを言うやつも、わりに酒飲みだったりします。つまり自分が指摘されないために、自分よりよりアル中度が進行している人間を見つけて先制攻撃を仕掛けてくるわけです。裏を返せば、もう多くの人が飲酒習慣やばい、飲酒による脳へのダメージやばいと感じているのです。

何度も繰り返して恐縮ですが、飲酒習慣が、それが過飲酒でなく適度なものでも、仕事に悪影響を与えるという「常識」が、定着しつつあるのです。やがてタバコと同じように、採用するときに飲酒習慣の有無も問われるようになるかもしれませんね。

適者生存という言葉があります。環境に適応していた者だけが生き延びていけるという生物界の大法則です。今のうちに酒をやめるのは、これからどんどん変化していく社会環境に適応することに他ならないのではないかと思います。

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