「デートしたことがない20代男性が4割」について、断酒者視点で考えてみると。

酒やめて、1960日。

「デートしたことない」が話題になってますが

「デートしたことがない20代男性が4割」といったことがことのほか大きな話題になっているようです。ネット上でもそうですが、たまたま実家でテレビを視ていたら夕方のニュースでも取り上げられていました。

テレビでのコメンテーターの分析などでは、貧困や格差に帰結するようです。そして例によって政治ガーでもあります。それにしてもオールドメディアにとって、貧困や格差は完全に「優良コンテンツ」になってしまいましたねー。それ言っとけば受けるやろ~てなものです。

そうした、「デートできないかわそうな若者」と勝手に規定しているオールドメディアの姿勢を見つつ、私は一つの事例を思い出していたのです。

それは親戚のおじさんテンプレートです。

よくいるじゃないですか、おお坊主もう中学生かどうだ生えたか生えたつったら毛に決まっとるだろーが下の毛だよそりゃ中学生ともなりゃ生えるわなあであっちのほうはどうだもうやったか、みたいなことをデカい声で話すおっさんが。

いや、そんなやついねーよ、という声も聞こえそうですが、少なくともドラマや小説などで描かれる困ったおじさんテンプレートとしては存在しています。

まあそこまでいかなくても、私の義理の弟などは自分の大学生の息子に対して、ナンパくらいできなきゃ男じゃねーぞみたいなことを言っていて、その息子も苦笑していましたが、私も引いてしまいました。これは実話です(苦笑)。

でもって、デートしたことないに対する評論家のコメントも、なんだか根っこは同じように思えてしまったのですよ。

もちろん「そんなことでどーする」みたいな言い方をする人はさすがにいません。が、そこに「貧困」「格差」を持ち出して分析するところがなんというかとんとんかんです。ま、余計なお世話ですが。

「断酒」は時代適合のためのプロトコルかもしれない

えーとどういうことか今一つ、わかりませんよね。私も自分の文章力のなさに辟易としてしまいますが、自分たちのアウトオブデイトな価値観でマウント取るのはアウトオブデイトですよ、ということなのであります。ますますわからないですね(汗)。

デートしない若者という存在は、いろんな事情があるにせよ、時代のアーリーアダプターという側面もあると思うんですよ。一方で「デートしたことがない」に驚く人間は、やっぱり古い価値観にとらわれているわけですよね。

でもって断酒者としての視点がここで入るのですが、自分のことを考えるとやっぱり酒飲んでいた時代はそういう昭和的な価値観で飲んでいたと思います。酒飲むのが当たり前であり、しかもそれで時間とお金とエネルギーが奪われ、一方で同調圧力的な幸せをも追求していた(夢見てた)ので、あちこちに齟齬をきたしていたということは、いつも書かせていただいている通りです。

私のことはともかく、時代がもういろんな局面で変わってきて、仕事上付き合いのある大学生などを見ていると、男子も女子も完全に脱同調圧力世代、自分軸世代です。

そうした世代に対して「デートがー」と分析してみたって仕方ないでしょ。する必要がある人はするし、そういうことに価値観を見出さない人はしない。そしてたぶん人類は、生物からAIに近づいているのでしょうね。

ともあれ、同調圧力の馬鹿馬鹿しさ、自分軸の大切さに、遅まきながら(本当に涙がでるほど遅まきながら)、断酒というものを通じて気づいた人間としては、そういうふうに思うのでありますよ。

そうしたことに気づくプロトコルとして断酒があったのです。今の若い人はそれに本能的に気づいているのでしょうけど。

とまあ、話が誇大になった感もありますが、「デート云々」が果たして全人類の幸せにとっていいことなのかよくないことなのかは別問題として、とにかく前時代的な価値観でマウント取ろうとすること、メディアの場合でいえば、そこに「貧困」「格差」をからめてコンテンツ化するのは決定的にダサいですよ、「もう毛が生えたかおじさん」並みに、ということを言いたいのでありました。

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