断酒erだけに許された「食」との付き合い方とは?

酒やめて、2800日

思えば「食」に執着しすぎていましたよ

ここのところ二度ほど「食」ついてのエントリを書かせていただいておりますが(「断酒erも大谷翔平選手と同じく「味は二の次」なのだった」「もはや「食」に執着している時代と社会状況ではないのかもしれない。しかし、その執着を引き出すのが酒さんでございまして」)、この問題は断酒erにとって結構意味を持っていると勝手に考えているので、もう少し深掘りさせていただきます。誰にも頼まれてませんけれども。

まず大前提として言えるのは、酒をやめると食に対して興味がなくなる……というか、生活や人生の中で食のプレゼンスが小さくなるということです。これはどなたにも共通するものと思われます。逆に言えば、酒を飲む習慣があると食に「興味を持ちすぎる」ことになります。そのように脳が魔改造されます。私などはまさにそうで、いっぱしの食通ぶっていましたので愚かさ極まれりです。

酒をやめてからは、夕食だったら、おかずとご飯と味噌汁(とお茶)で全然オッケーであり、いわゆる定食志向になります。て、普通の人は普通にそれでオッケーなんでしょうけど。よく元妻にそう言われていました。

飲んでいる時代はといえば、基本的には米の飯は食べずにおかずばかりで、そのおかずも旬のものが食べたいだの珍しいものが食べたいなどと金もないのにこだわっていました。そして俺って内田百閒先生みたいやんと悦に入っていたのですから愚かさの二乗であります。

そうするとますます困窮することになり、それももちろん大問題なのですが、それ以上に、食+酒のプレゼンスが大きくなり過ぎて、それだけを心待ちにして生きてしまう。そして、すべてにわたって執着の強い人生になりがちだということが、今考えれば問題だったと思います。酒をやめるとその「すべてにわたる執着」が消えるから不思議でもあります。

食のプレゼンスが小さくなればいいこといっぱい!?

さて、ここで考えておかなければいけないのは、食に執着がなくなるということは、一つの方向性として、いわゆるジャンクフード指向になるという点です。

この辺は貧困コンテンツの大家・三浦展先生がいろんなところで書かれていますが、お腹いっぱいになるためだけの安くて手軽に食べられるものを求め、つまりそれは料理をしないことだから、そのような生活マネジメントの欠如が貧困を招く、といった論です。

これはまた社会的な問題でもあり、じゃあそうではなくて高タンパクの食材や野菜や果物などでお腹を満たそうとすると、ものすごくコストがかかってしまう。ジャンクフードをはじめとした炭水化物系しか選択肢がない。日本の場合、日本で産する高品質の食材は輸出奨励され、外国からジャンクフードやその原材料を輸入するというのがもはや国策になっている感さえあるのでなおさらです。しかもそうした食はいわゆる血糖スパイクを起こし勝ちなので、食べれば食べるほどどんどん食べたくなるという側面もあり、三浦先生が指摘する「貧困肥満」にもつながります。

そうすると当然、不健康になり、不健康だと生産能力が落ちさらに医療費もかかる。食についての貧困的行動がさらに貧困を呼ぶというパターンにはまるのです。私のようなジジイになるとなおさらです。

で、私の場合ですけれども、酒を飲まなくなって、すなわち食に興味がなくなってからは、ホントにコストがかからない食生活です。基本的に一日二食で、オートファジーダイエットというか、その二食の間は16時間開けるようにしています。もちろんほぼ自炊です。

夜は、先に挙げたような「定食的なもの」を食べ、昼はプロテインとブロッコリーというスタイルでやっています。いずれはそのプロテイン+ブロッコリーに鶏の胸肉を加え、筋トレ教則本の食事を毎食、というようなかたちにしていきたいと考えています。

このようなジャンクフードではなく、かつ低コストで身体に資する食は、食に興味が薄くなくては、それこそ大谷選手のように「味は二の次」じゃないとなかなか難しいけれども(大谷選手は低コストじゃないだろうけど)、断酒erなら比較的容易に実現できるのでは、と勝手に考える次第であります。

西部劇のガンマンが、ちぇっまた豆かとか言いながら、たきびでぐつぐつ煮込んでいる姿ってかっこいいなあと昔思っていましたが、まあそれに近い、ある種、諦観を伴った食にすることができるんじゃないかと。「ちぇっまたプロテインか」(実はそんなに嫌じゃない)てやつですね。

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