酒やめて、2458日
「何かやりたい」の「何か」とは酒だった(汗)
「クリエイティブな人々は「他にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある」という、ご存じサイエンスニュース界の東スポ・Gigazineの記事を読みました。要はクリエイティブな人間には、何もせずぼーっとしている時間も大切だ、てなことです。
退屈が創造を生むというのがこの記事のキモのようで、怠惰な人には都合のいい理論のようですが、ただホンモノのクリエイティブな人は、その退屈の中でもアタマがフル回転しているのでしょう。たぶん。
では、私のようなクリエイティブとは縁がない人間(会社員時代はクリエイティブなる小賢し気な名称がついた部署に所属していたこともあったがw)はどうかというと、わりにぼーっとしているのは苦手で、時間があれば何かやりたいクチです。
ただしこれって、酒をやめてから感じたことですね。すきま時間みたいなものを見つけて、その間に何かやってしまおう――たとえばこのブログを書くこともそうですが――という性向になったと思います。
飲酒時代も「ぼーっとしているのは苦手で暇があれば何かやりたい」でした。ただ、その「何か」が「酒を飲む」一択だった(苦笑)。要は、暇があれば飲んでいたというわけです。威張ることじゃないですが。
ところが飲むことをやめると、その時間がぽっかり空く。そこで何かやろうとするようになった。これが、「酒をやめると時間がわさわさ湧いてくる」ということです。
時間というものを大事にしなさいとは、もうそれこそ子どもの頃から親や教師や塾の先生から言われていて、すきま時間の重要性も指摘されていましたが、私の場合、子どもの頃はぼーっとはしなくても、持前の要領の悪さから有効に使うこともできず、また大人になってからは、そのような時間に酒がすんなり入ってきていました。
時間があれば、何でもできるなあ(笑)
繰り返しますが、酒やめて、酒を飲んでいた時間がぽっかり空いた、じゃあ何か(有意義なことを)やろうか、になった。ということは、ですよ、これはある意味、酒を飲む前よりも成長しているわけですよね。ジジイになって成長も何もあったもんじゃないですけれども、恥ずかしながらそのように感じます。
整理すると、もともと「空き時間」というものは酒につけこまれやすい。が、一旦酒をやめてみると、そのぽっかり失った時間で何かを取り戻そうというふうになる。つまり、怠惰な人も、要領の悪い人も、「何か」ができる、少なくともしようとする。すなわち「自分2.0」になることができる。といった構造があるのでは、と勝手に考えている次第でございます。
その時間のありがたさとは、時間さえあればなんでもできる、という時間の万能性なのですね。むろん、それプラス若干の経済力とエネルギーが必要ですが、これも酒をやめると生まれてくる(復活する)ということもまた、いつも書かせていただいている通りです。
いや、ホントにねー、時間があれば何でもできるなあ、と思いますですよ。「何かコトを成す」を、いわば時間の力技で成し遂げることができるのですねー。
でもって、冒頭の話に戻れば、クリエイティブな人間でなくても、クリエイティブなこともできてしまう。時間をかければ人間何でもできるということを確認できるだけでも、つまり時間を徹底的に味方にできることを確認できるだけでも、断酒してみる価値はあるかと。
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