「群れない」「酒飲まない」は進化した人類か。

酒やめて、2856日

つながらなくてもいいんじゃね?

一昨日、「孤独孤立問題に酒を絡めてみると」という話を書かせていただきました。要は、孤独孤立と酒と貧困は手に手をとってやってくるということですね。実際、この3つのシナジー効果たるや半端ないものがあります。

さて、孤独孤立についてフォーカスすると、一昨日も書きましたが孤独は心情的なもので孤立は物理的なものでありますから区別しないといけないのでしょうが、とりあえずここではまとめて取り扱わせていただきます。

でもってそれが、なんというか悪いこと……というのもヘンですけれども、問題視するようなことなのかどうか、です。つまり、孤独孤立で何が悪い? と個人的には思います。

逆になぜ「つながり」というものが重視されるかというと、それは人間が社会的動物だからですよね。この辺はアリやミツバチと同じです。

じゃあなぜ社会的動物かというと、やはり農耕でしょう。集団生活じゃないとできないものであり、組織化してやったほうが効率がいいからです。それ以前の狩猟生活においても、組織化したほうが効率が良かったことは間違いない。より大きな獲物を倒せますもんね。そういえば昔の図鑑には、大人数でマンモスに立ち向かう人類、みたいな絵がよく出ていました。

そうした狩猟社会をSociety1.0、農耕社会はSociety2.0と規定されますが、集団の重要性は産業革命を経て工業社会(Society3.0)になっても変わらなかった。そして情報社会(Society4.0)とされる今でも、たとえば会社なんていうのはまさに生産性アップのために集団で仕事をするための存在ですし、一般に大企業の方が中小企業よりも給与水準が高いのは、より生産効率が高いから一人ひとりの分け前も多いということでしょうでしょう。

ただし今、Society5.0――「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を⾼度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両⽴する⼈間中⼼の社会」となにやら大仰に規定されておりますが、要は「いつもチームを組んでやらなくてもいいんじゃね? 社会」になりつつあります。集団であるから生産性が高いというふうにはだんだんならなくなっている。仕事にしても、チーム型からプロジェクト型に明らかに移行していますよね。それはコロナ前からそうであり、役所の人間などと会うと「いや、僕はプロジェクトのために〇〇(民間)から呼ばれたんですよ」みたいな人間がすごく増えていたのは実感としてありました。

いつもつながっていることが絶対条件ではない、必要に応じてつながればいいということですよね。

酒は歴史的役割を終えている!?

この辺は、個人生活に落とし込んでも同じで、そうした変化を若い人は敏感に察知しているのでしょう、ストレスを生む人間関係ならなくてもいいんじゃね? というふうになっています。リレパ(リレーションシップパフォーマンス)が悪い、ということになるのでしょうか。

いやいや、なかなかそうはいかないよという向きもあるでしょうし、その辺は人それぞれの立場で違うでしょうけれども、今はストレスを生む人間関係を離れて、起業するなり副業するなり、雇用という形態を採らずとも生きていけるようになっている。少なくともSociety1.0~3.0の頃に比べればそれが格段にしやすい。Society2.0の頃の「村八分」なんて形骸化していますし「村八分」されてもなんの痛痒も感じない。人類は歴史的転換点を迎えているわけですよ。

そしてここに酒さんという存在を絡めると、酒は古くは集団の絆を維持するためにあり、Society2.0の頃なら、絆を維持する一大イベントである神事に不可欠なものでした。Society3.0あるいは4.0の時代でさえ、酒によるコミュニケーションで仕事が上手くいくケースもあったでしょう(個人的にはあまりそれを感じたことがないので、「幻想」だったと思いますが)。ただし、今やそうした社会と酒の関わりが変質している。社会のなかで酒は歴史的役割を終えつつあるのかもしれない。

と強引に規定してしまえば、断酒erは新しい社会に向けた進化した人類という結論になりますが、何か?

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする