格差格差というけれど、まずは精神的にその枠外に出ることが大切なのではないかと。酒やめて(笑)。

酒やめて、1572日。

吉川ばんびさんがアイコン化している件

ちょっと前に「「丁寧な暮らし」に対する風当たりが強いけれども、断酒者的に見ればそれもありだよね、という話」を書かせていただきました。そしてこの丁寧な暮らしというのは、「リア充」「意識高い」といった今の世の中が目の敵にしている(?)属性と親和性が高く、だからこそ反感も持たれている側面があります。典型的な記事がこれですね。

「丁寧なくらし」という言葉への違和感、貧困家庭で育った私が見てきた“現実”

もっともな話で、共感するところもとても多いです。でもねえ……と片方では思ってしまうのですよ。

このジャーナリストの吉川ばんびさんという方は、貧困あるいは格差というものをコンテンツにしようという出版業界の思惑で、スターあるいはアイコンに仕立て上げられた感が非常に強いのですよ。個人的に思うには。余計なお世話ながら。

話が前後しましたが、「貧困」「格差」というのは今や完全にコンテンツです。少なくともメディアの人間はそう思っています。

いや、この二つは分けて考えた方がいいかもしれません。というのは「貧困」のコンテンツ化については、たとえば映画『万引き家族』に代表されるように、まったりと貧困の共有感を楽しもうという思いがベースにあるような気もします(参考「「下流」はすでに優良コンテンツ!? そのまったり感を共有するのもいいけれど……」)。それは貧困は絶対的なものだからです。SDGsとやらに指摘されるまでもなく。

ところが格差というものはそうではないですよね。当然ながら、それは相対的なものです。そしてメディアはこの「格差」の性格を利用して、この言葉をある種のキラーワードにしようという意図が見てとれます。ルサンチマンを刺激するものとして、です。

私のような者に対しても、私の守備範囲とする業界に関して、格差というテーマで何かありませんかねーと訊いてくるメディアの人間もいますからね。

「格差」「格差」と言ってなにが楽しいんだか……

以下、その格差について考えてみたいと思います。

繰り返しになりますが、「格差」はもうキラーワードと認識されています。そしてそれをテーマになんらかのコンテンツを企画するのは、一般的に言えば格差の上のほうにいる人たちです。

彼らはぶっちゃけ「格差ゆーたらウケる」と考えています。そういうふうなことは、私のような格差の下のほうにいる人間からすれば面白くないちゃ面白くないのですが、今は別にどうでもいいというか、面白くなくもないです。

というのは、これは本当に不思議なのですが、酒やめてから、そうした相対的な価値観については、興味がないというか、あまり意識しないで暮らせるようになったからですね。それは、以前も書かせていただきましたが、格差に代表される世間様の一般的な価値観に基づくところの同調圧力に屈して酒を飲んでしまっていた苦い過去と表裏一体を成すものです(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。ややこしくてすみません。

同時に、マイペースで暮らすこと、自分は自分だと思い込むことこそ、断酒を続けていく大きな原動力だったりすることもまた「格差なんざー気にならんよ」につながっていると思います。

とまあ、毎度毎度のことながら断酒者理論をこねくり回してしまいましたが、要は酒やめれば淡々と坦坦と生きていけるということですね。「格差」に代表される世間様に振り回されずに。

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