酒にとらわれ、「どうにもなれー」的な思考が常態化すると、確実に自分も不幸になるという話。

酒やめて、1242日。

自分も滅びろ、世界も滅びろ!?

ほっしゃんという芸人さんがいます。かなり以前、彼がトーク番組、たしか徹子の部屋だったと思うのですが、それに出演しているのを見ました。そのとき彼は、仕事がない不遇の時代はもう世界が滅びろと思っていた、みたいなことを話していました。

ずいぶんとゲスなことですが、気持ちはわかるんですよ。その頃、私も飲酒していたので。

ほっしゃんが過飲酒し、いわゆる飲酒脳になっていたかどうかは知りませんけれども、まあアル中とまではいかなくても酒オリエンテッドな生活をしていると、このような考え方になります。さすがに世界が滅びろとは思いませんが、少なくとも自分は滅びろ、どうにでもなれーとやっぱり思いますよ。何度も書いてきたことで恐縮ですが。そして、もっとゲスなことを言えば、その自分が滅びる過程で周りもどうなってもいい、と思うときもあります。

で、このような考え方は確実に本人を不幸にします。というとスピリチュアルっぽいですけれども、たぶんそれは「科学」なのです。

不幸への道の石畳をひとつずつ置いていく!?

「いつも笑顔でいれば幸せが訪れる」といった類の話をよく聞きますよね。これもスピリチュアルぽいですけれども、おそらく何らかの科学的な論拠はあるのでしょう(参考「酒やめて、スピリチュアルぽい教条が、「実効」として感じられるようになった件」)。それと同じですね。いや、それよりもかなり高い確率で、「もうどうにでもなれー」みたいな思考が常態化していると、確実に不幸になるでしょう。スピリチュアルでもなんでもなく、まったくの現実だと思います。

というのは、ですね、そういう考え方をいつもしている以上、日常生活だろうが仕事だろうが、そして酔ってない時であろうがシリアスな場面だろうが、局面局面でそれが判断材料になってしまうからです。

上手く言えませんけど、「論理的に考えてもしょうがないから考えるのを放棄する」と「感情的に諦める」が混ざったような心持ちですべてを決めてしまう、といったものでしょうか。

たとえぱ、多重債務者がこれだけ借りたんだからもっと借りても同じ、と考えるのと似ていたりします。あるいは女子高生が体重計を見ないというやつですね。

で、どっちがよりやばいかというと、実は女子高生の方です。さすがに多重債務者がさらに借金を重ねるような人生の決断をする場合、いくら「もうどうにでもなれー」的な思考が常態化していてもやっぱり熟慮するでしょう。けれども女子高生の場合、ほんとに軽い気持ちで体重計をスルーしますよね(たぶん)。そしてそういう判断を重ねることは、不幸への道の石畳をひとつずつ置いていくことにほかならないのではないかと思ったりするわけです。

まあそんなことは、飲酒脳でない方は、誰でも意識するしないにかかわらず気づいていることなんでしょうけどね。今さらのように気づいて、大発見のように得々と書き記すのも恥ずかしいのですが、個人ブログということでご寛恕を。ただし一点の真実はあるのではないかと自負しております(笑)。

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