酒やめて、3274日

宗教における「苦行」は何のため?
宗教世界では「苦行」と呼ばれる修行が存在しています。キリスト教におけるむち打ち、ヒンドゥー教における片足立ちを何年も続けるといった極端なものもあり、また仏教でも代表的な修行として坐禅が挙げられますが、達磨大師のように9年間、壁に向かって坐禅するのは苦行そのものでしょう。ちなみに達磨大師はその結果、手足が腐ってなくなったとされていますが、これが多少なりとも史実に基づくものであるとするならば、逆説的に運動の大切さを教えてくれているようにも思えます。
ここで言葉の整理をしておけば、苦行は修行の厳しいもの、あるいは冒頭に記したように極端なものととらえられ、ここであえて「苦行」という言葉を使わせていただいたのは、人間の身体や脳は、とことん苦しい状況に追い込むことによって稀なる力を発揮するという側面があると考えられているからです。宗教界隈では、経験則的にこうしたことに着目してきたのでしょう。
現代における、プチ断食などもオートファジー効果があるとされますし、空腹だと脳が働くことはよく知られるようになり、それは私も実感しています。そして、「お腹が空いて集中できない」といったアンパンマンのようなことを言うやつ(16時間断食のやり方を訊いてきたあげく、腹が減ったときはどうするんだと言うやつがいるんだ)に対しては、ふっ、修行(苦行)が足りんなと心のなかでつぶやいてしまう次第です。
ともあれ、身体を苦しい状態に追い込めば能力が発揮されるということは事実としてあり、それを人類は経験則として知っていたが、現代では科学的に証明されつつあると言えるでしょう。そういえば『聖闘士星矢』の聖闘士たちも、とことん敵にやられてからセブンセンシズを発揮しますもんね(科学的じゃない)。
二日三日と自分で自分を追い込んでいけば……
繰り返しますが、能力を発揮するためには苦行の実践も一つの方法である、と。そして断酒もある意味苦行であり、であるならば、まさに自分の知られざる能力を引き出すものであると言えます。断酒は、とりあえず始めるのは簡単であり、そして二日三日と自分を追い込んでいくうちに、自分の知られざる能力に「くわわわっ」とできるのが特性でしょう。断酒によって俺はセブンセンシズに目覚めたああああ! であります。
なおかつ、酒を飲むという行為は能力をマイナスにしますから、たとえば禅が「0.0」から「1.0」に能力を引き上げる行為とするならば、断酒は「−1.0」から「1.0」にするわけで、倍の効果があるのではないかと都合よく考える次第です。昔の修行者は酒など飲まなかったでしょうけれども(そのわりには、酒造りは修道院の専管事項だったりするが)、だからこそ覚醒の絶対値も限られていた(?)。その覚醒の大きさにおいては、仏道の修行者よりも断酒者の方が上であると勝手に決めております。
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