「アル兄わかささんが飲んでいる」は、自分が飲んでいい理由にはならない。

酒やめて、3332日

「うちのじいちゃん」エビデンスにディベンド!?

【アル中】アル兄わかさチャンネル【酒】」というYouTube番組があります。私も時々楽しませていただいております。なんでも1億回再生突破されたそうでマジ凄いです。

内容はといえば、自称アル中であるところのわかさ兄さんが、酒(主にビッグマンの炭酸水割り。これがミョーに薄いので、ビジネスアル中疑惑もある)を飲みながらしゃべる、基本的にはそれだけなのですが、わかさ兄さんのトーク力たるや半端なく、芸人レベルと言ってもいいほどです。実際、R-1の予選に出場したそうです。

さて、アル兄わかさチャンネルは、「アル中が明るく語る」というのが基調かつ魅力の源泉です。断酒erの私がそのように評する(?)のもナンではありますが。

その中でわかささんが、「じいさんとかで、90まで生きたけど、毎日一升瓶飲んでましたよ、そんな話が聞きたいよ」と言ってました。

実際、「うちのじいちゃん、90まで毎日飲んで、死ぬまで元気でぽっくり逝った」という類の話はよく……でもないけど聞くところではあります。そしてアル中時代の私も、俺だってそうなるんだというふうに思っていました。むろん今、そう言いながら、そのエビデンス(?)にディベンドしつつ飲んでいる人も多いでしょう。

健康ではなくて、置かれた状況の問題なのだ

しかしながら、いつもいつもで申し訳ありませんが、それって単なる健康の問題じゃないですよね。90まで酒を飲むことが許される立場を得られていたかどうかということです。

それまでに社会的責任を果たし、さらに何かあっても経済的に誰にも迷惑かけないほどの経済力がある、どのような介護医療の選択肢でも選べるという「立場」です。この大前提が自分自身にない場合、「うちのじいちゃんは……」を語っても意味がないですし、それを自分の飲むエビデンスにはできないということですよね。

ただ、実際にはそうはなっていない。私の周りでも、億の資産がある人間(つまり飲んでもいい人間)に対して、借金で首が回らない男が「お前はアル中だ。脳が萎縮している(でも俺はそうじゃないから飲める)」などと言い放つという、もはや寓話としか言いようがないようなことが起きています。

今は「健康だから飲める」はもうまったく意味をなさない。飲めるか飲めないかが、健康以外の部分に拠るところが非常に大きな世の中となっている。会社の同僚が隣で飲んでいたとしても、同じ会社の人間であるという以外の状況は個人個人で全然違っているから、それが飲んでいい理由にはならないということですよね。

そこのところを考えずに、俺は飲んでいいみたいなことを公言しつつ飲んでいる輩を、断酒erとしては冷ややかに眺めていればいいわけで(性格悪い)。

ちなみに件のわかささんの場合、YouTubeで大成功しているのですから、状況的に「飲んでいい」人に分類されるでしょう。だからこそ「わかささんが飲んでるから」は自分の飲む理由にはならないのです。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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