「飲んだくれ」という称号の変容。

酒やめて、2990日

もはや「金よりコミュニケーション」ではない!?

一つ前のエントリで、往年の大投手である米田哲也さんの、缶チューハイ2本万引き事件について触れました(参考「「飲みたいのに金がない」は、人生の中でもかなり危険な事態かと」)。そのなかで、万引きという犯罪までは行かなくても、人に金を借りて飲むといったことの特殊性についても言及しました。実際、そういう人がいるわけです。

先のエントリにも書きましたが、こういう行為って往年の文豪もやっていたことで、内田百閒先生などは有名ですよね。創作に関わる人は無頼な生き方でもいいという通念があり、だからこそそれがある種の武勇伝に昇華するという構造があったのでしょう。そしてこの「構造」は昭和の時代までは一般人にも適用されたのではないかと思われます。

よく小説やドラマなどにも出てくる「父の形見の金時計を質に入れて飲みに行こう」というやつです。このようなドラマツルギー(?)のベースにあるのは、お前とのコミュニケーションの方が金よりも大事だというもので、それはある程度の真実であったのでしょう。その時代において、は。

ところが今は違ってきています。コミュニケーションより金……というとヘンですが、他者との関わりの重要性が相対的に小さくなり、その代わりに、全世界の経済(成長)に対する信託投資が一般的になったことで経済力というものが大きな意味を持つようになっています。この辺のことは当ブログでもそこそこ触れさせていただいています。

そしてそこをベースに考えると、飲酒習慣と経済力の関係がクローズアップ(?)されてしまうのですね。

今の日本社会と酒の特性はかなりヤバい!?

飲酒習慣が経済力を毀損するということは、私も経験しすぎるほど経験しています。貧乏になっていく世の中で、しかも社会的セイフティが極めて脆弱な状況のなか、酒を飲む習慣があると簡単に貧困に陥ってしまうのですよ。

実際、私の周りにもそういう人はいて、それは私がフリーランスであり、そういう界隈と付き合いがあるせいかもしれず、普通に会社員や公務員をやっている人はあまりピンと来ないかもしれませんが、本当にそういうことは起こりえるのだなあと実感します。

先のエントリで触れた米田哲也さんの場合でも、日本のプロ野球界は年金不全を起こしているので、飲んだくれていたりすると、何千万、今の価値なら何億も稼いでいたような名選手でも貧困に陥ってしまう。

でもって、このような「英雄の落魄」はメディアの好物ではありますが、アメリカなどでは薬物やギャンブルとの関連が指摘されます。後は、中南米出身の選手などは「親戚縁者知り合いに集られる」というパターンですよね。

日本ではそのようなことがあまりない代わりに酒という非常に簡単に手に入る誘惑があり、だから相対的にこいつの危険性が高まります。そして酒の特性は「簡単に手に入る×一回一回は安い」ということですよね。

今の多くの日本人はみんな、結構ギリギリのところでやっているので、この特性が非常に悪しく作用してしまう。飲酒と経済力毀損の関係がますます際立っているのではないかなあと、米田さんの事件を見て考える次第でございます。

いや、むろん、酒飲んでも大丈夫、経済力は毀損されないという人も未だに多いのも事実でしょう。だから、自分がそうなのかそうでないのか、あらためて考える必要があるということですよね。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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