「傲慢」はお呼びじゃないのですよ。

酒やめて、2931日。

フジテレビが証明したオールドメディアの傲慢さ

またぞろフジテレビの話で恐縮ですが、文春誤報とかは関係なく、大手メディアの意識が世間の意識とは大きくかけ離れていることが証明されたのは、誰の目にも明らかでしょう。そしてそのベースにあるのは、メンタリティとしての「傲慢さ」です。

実際、私の知っているオールドメディアの人間もある世代以上は、マジ傲慢ですよ。ほんとに世間一般を見下しています。その背景には、記者クラブに代表されるメディアの優遇もあるでしょうし、一時「第4の権力」などとも言われましたが、自らの影響力の行使を実感できるといったこともあると思います。

まあ、後はあれですよね。大手メディアの人間は厳しい就職戦線を勝ち抜いてきた高学歴者ですから、エリートの傲慢さみたいなものが自然に身に付くという事情もあるでしょう。

むろんこれはメディア業界(?)に限った話ではないですが、しかしメディアの場合、業界の泥水をすすることでかろうじて生きているような人間でさえ傲慢さを持って一般人を見下します。私などはそういう輩に「〇〇風情」呼ばわりされたこともありますしね。ちなみにそいつは、役所の対応などについても「木っ端役人ガー」などと言っています。

謙虚ベースで生きないと、時代に対応できない!?

さて、酒をやめると諦観ベースのものの考え方ができますので(なぜ「できる」かは参考「酒やめて「諦観」ベースで生きるのが、こんなにラクだったとは!」)、怒りや恨みみたいなこととは無縁で過ごせます。これは逆に言えば、絶対許しちゃいけねえ! に属するマター(?)が純化されて浮かび上がってくることでもあります。これも断酒メリットの一つと言えるでしょう。そしてその純化された怒りの対象にのみ復讐(?)すればいいわけですよ。まさに「基本は性善説。だが、やられたらやり返す!」ですわ(そうなのか?)。

と、話は横道に逸れましたが、ともかく大手メディアの人間というかそこに関わっている人間は傲慢ベースで生きている、と。

が、世間一般のある特定世代以下は、それとはかけ離れた謙虚ベースのメンタリティを持つにいたっている。だからフジテレビのような一件が悪目立ちするのですよ。

では、なぜ謙虚ベースになっているかといえば、これは私見ではあるけれども真実だと確信しているのですが、AIの時代、ICTの時代というのは他者の知見を共有する時代でもあり、そうした社会状況は「謙虚」を必要とするからです。生まれたときから携帯がありスマホとともに成長したZ世代などはそれが本能的にわかっていると考えられます。だからこそ、繰り返しますが、ある世代以上の傲慢さがことさらに目立ってしまう。

で、ここからは断酒er理論なのですが、やっぱりその傲慢さに酒さんは手を貸していると思いますよ。もちろんこれは人にもよるのでしょうけれども、ただ自分の飲酒を正当化する人はいます。俺は適正飲酒者だ( -`д-´)キリッというやつですよね。この自己正当化は傲慢のタネになります。

というわけで今の世の中、傲慢さはまったくもってお呼びじゃないけれども、そこに陥る原因の一つはやっぱ酒でしょう、という結論に達してしまいました。

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