もはや「ビール街」的飲み方でさえNGになる世の中なのかもしれない。

酒やめて、2742日

中国人が「デブあかん」になると、その影響力は大きい!?

二個前のエントリーで①「日本は本当に「ビール街」と「ジン横丁」の社会になってしまったんだなあという話」を書き、一個前のエントリーで②「中国の富裕層のルックスが変わってきた件。これが何を意味するのか」といった提議(?)を行いました。

①酒の飲み方には、人生に彩りを添えるために飲む「ビール街」と人生が辛いから飲む「ジン横丁」があり、昨今での日本では「ジン横丁」が拡大している。

②価値観や成功図式がグローバル化しているなか、人類のなかでもっとも「デブ=富裕」信仰があった中国人でさえ「デブあかん」になりつつある。

というものです。

②については私が目撃した数少ない事例に基づく仮説であり、妄想の類かもしれません(あるいは真逆にマーケティングの世界などでは常識になっていることかもしれません)が、ともあれ、この①と②を考え合わせると、一つの真実のようなものが見えてくるように思います。と、勝手に考えています。

今までだったら、①で紹介した「ビール街」的飲み方であれば、むろん脳への影響はあるものの、人生の責任を果たしたり、資産を築いていたりして人生「上がり」になればその後は脳がどうなろうが関係なかったわけで、すなわち、そうした飲み方は成立していたと言えます。

一方で、②で見たように今、儒教の徒である中国人すらも細マッチョ指向になっている……ように見える。もし中国人の富裕層すなわち成功者、あるいは成功しようという野心を持つ人たちが細マッチョ指向=デブ否定であるとするならば、それは成功するための条件としての欧米的価値観が中国にも浸透してきているということになりますよね。そしてそのような価値観を中国人が持つとすれば、何しろ世界第二の経済大国であり、かつブルジョアジーと呼ばれる層のボリュームは世界一でしょうから、その影響力は非常に大きいと思われます。

酒さんはトレーニングのための時間と気力を奪う

そうしたなかで、②で主張(?)したように、細マッチョ化にはトレーニングが必要であり、ということ時間が必要であり、しかし一方で酒は時間を奪う、さらにはトレーニングするための気力も奪ってしまう。だから経済力があったとしても、時間と気力が奪われると、なかなか細マッチョになれないという図式が一応は成り立つのではないかと思います。

もちろん大前提として、飲酒は筋肉の生成を妨げるということもあります。

そうするとクラス維持、あるいはクラスアップということについて、細マッチョであることが欧米並みに一つの条件であるならば、それが難しくなるということになります。

一昨日も書き、繰り返しで恐縮ですけれども、このようなトレーニングというのは、いかに儒教ベースの「自分で動かない」が美徳である中国人富裕層であっても自分でやるしかないわけですよ。当然ながら。すべての人類には、筋トレの前の平等というものがあるのかもしれません。

ということは、ですよ、ここからは断酒er的な妄想も入って来ますけれども、もはや「ビール街」的な飲み方だからオッケーということではなくなってきているのですよ。細マッチョ=成功の条件だとするのであれば。そしてもちろんそれは中国人に限らず、そしてもちろん富裕層に限らず、何かコトを成そうと考えている日本人にもあてはまるのでは、と考える次第であります。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする