こうまでコンプライアンスが高い世の中にだと、外で酒を飲むこと自体が「奇っ怪な行為」になるのかも。

酒やめて、2806日

渋谷区が路上飲酒全面禁止を施行

渋谷区の「路上飲酒禁止」がハロウィン時期だけでなく通年になったそうです(参考「東京 渋谷区の路上飲酒禁止条例 きょうから通年に拡大」)。てことは「渋谷区=外国」ですよね。よく知られているように多くの国では公共の場での屋外飲酒禁止です。なのに、というか、だからというか、外国人は日本に来ると「ヒャッハー」になります。大ぴらに路上飲酒してその辺に缶を捨てる人もいます。なので、その放置は観光ジャパン戦略上もヤバいのでしょう。

私などもアル中時代、ゴミは捨てないものの(ゴミを持って帰ってくるため袋をいつも持ち歩いていた)路上飲酒はよくやっていました。が、渋谷区の例が象徴的に示すように、今や路上飲酒や電車飲酒という行為は、マナー違反ということを超えてストレンジな行為として認識されているような気もします。

私は、飲んでいたときは、そんな時代の空気にまるで気がつかなかったのですが(威張ることじゃない)、アル中になったことのない一般の方からすればもう以前から「ウザいな」を超えて「あ、近づかんでおこう」だったのでしょう。そしてそうした傾向はどんどん強くなり、それを渋谷区という「公」が追認したかたちになっていると思います(大げさ)。

コンプライアンス上でも条例上でもそうなっていて、だから当然ながら家で飲めばいいのでしょうけれども、飲酒習慣があると外の店で飲むことも避けては通れません(?)。そして外で飲んで酔っ払って醜態……とまではいかなくても「酔っている」がわかる姿を晒せば、路上飲酒と同じ印象を与えてしまいます。

つまり、襟を正して飲んで、襟を正して帰ってくる。そこまでが「外飲み」になっていて、そうでない場合、今まででは考えられなかったことでも一発アウトなのかなあとも思ったりもします。

とまあそんなことはお前に指摘されなくてもわかっとるわいっという向きもあるでしょうが、言いたいのはここから、であります。

「脳あぽーん」の前には万人が「平等」なのだった

私は、常々、再飲酒するのなら、思いきり酔っ払いたいと思っております。よく、断酒していた人が再飲酒する際「(これまで断酒できたのだから)今度は適正に飲める」といったことがエクスキューズになると指摘されますが、私は適正に飲むくらいだったら飲みたくもないのです。外飲みにしても、ふわっとした高揚感を持って電車で帰ってくるのがいいのであって、飲む前と同じような行動が求められるのであればもはや外で飲まなくてもいいとさえ考えています( -`д-´)キリッ

そもそも今、酔って電車で帰ろうとしたら確実に駅の階段から転げ落ちるでしょう。そういう観点からすれば、ジジイになっても外飲みできる人は、タクシーで帰れるだけの経済的ゆとりがある人だけ、というふうにもなります。

さて、余談ながら今、大学というところのものは飲酒に非常に厳しくなっており、構内飲酒禁止なのはもちろん、たとえば早稲田大学なら、高田馬場の街で飲むことについても厳しい規則が設定されています。こうしたことに対して以前なら「酔いつぶれるのもイニシエーション」といった声もありましたが、今、そうしたことを発信したらたちまち炎上してしまうでしょう。

で、そうしたことを言うと、俺はちゃんと飲める、酔いつぶれたりしないという向きもあるでしょうが、それは肝臓が強いということで、その分、どんどん脳が毀損されていきます。それは、一般に東洋人より酒に強いとされる西洋人も含め、どんな人も「平等」にそうです。そうすると今度はたとえば仕事の遂行能力が落ち、飲んでいない時でも「あ、近づかんでおこう」な人になります。

このようなことは若い人にはにわかには信じ難いかもしれませんが、ジジイになるとホントにそうです。そういう人は実際いますし、なによりも、そうした状況に片足、いや両足突っ込んでいた、そして酒やめてもうすぐ8年になるのにいまだにその後遺症(?)に苦しめられている私が言うのだから間違いありません。

ともあれ、このような酒に対するコンプライアンスが厳しい世の中は、ちゃんと生きている人には生きやすいのでしょうし、ちゃんと生きようとしている断酒erにもかなり生きやすいと確信したいのであります。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする