酒やめて、2704日
そもそもなぜ日本は路上飲酒禁酒じゃなかったのか
渋谷区で夜間の路上飲酒が禁止になるそうです(参照「夜間の路上飲酒、通年禁止 改正条例、10月から 東京都渋谷区」)。ハロウィンの日だけの時限立法(?)だったのが、年間を通じて、ということですね。ハロウィン路上飲酒禁については以前にも取り上げさせていただいております(参考「国民の飲酒習慣と国力が密接に関係する時代に突入しているのかもね、という推論あるいは妄想」)。
そこにも記しましたが、外国人は普通に日本で路上飲酒しています。ずいぶん昔の話だけれども、禁酒であるはずのイスラム教徒のイラン人も日本では公園などで飲んでいました。ご一緒したこともあります(参考「「無頼」から「スマート」へ。そうした時代の変遷のなか、酒は決定的に旗色が悪いようです」)。
繰り返しますが、外国人は日本ではおおびらに「外」で飲酒しています。駅のホームでウイスキーをラッパ飲みしている外国人も何度か見かけたこともありますし。日本人のアル中だって、屋外ウイスキーボトルラッパはあんまやんねーぞ。
その一方で、屋外のパブリックスペースで酒を飲むことを禁じている国は多いようです。それは宗教上の理由もあると思われますが、そもそも禁止しないとみんなやっちゃうということでしょう。日本は禁止じゃないので、日本に来たからには、おおっぴらにひゃっほーいで路上飲酒しているのだと思います。
そして日本でこれまで路上飲酒禁止でなかったのは、単純に日本ではそうする人が少なかったからでしょう。私のような人間を除いて。
ところが日本の貧困化とともに、お金がなくて居酒屋に行けないのなら公園で飲めばいいじゃない、路上で飲めばいいじゃないといった具合で、日本人による路上飲酒も結構広まっていきました。私などは、昼間からベンチで飲んでいるおっさんがいる街のほうが落ち着けたりしていました。
日本の特殊性を前提に制度設計すると、そりゃ「特区」になりますわ
さて、この路地飲酒が禁止じゃないことに代表されるように、日本の特殊性が外国人に付け込まれるケースは結構あります。保険制度などもそうですよね。外国人の健康保険のタダ乗りというか悪用が問題になっていますけれども、結局のところ、日本の国民皆保険や生活保護制度は、性善説や働くことが美徳みたいなメンタリティを前提に制度設計されていて、そうでない文化を持つ民からすれば、そんなの使い倒せばいいじゃんになりますよ。
とまあそんなことを断酒ブログで言っても詮ないのですが、路上飲酒禁止に話を戻せば、これまでは、そもそも酒に弱い民族であり、また比較的モラルが高いことを前提にしていたから、とくに路上飲酒も禁止にしなくてよかった。でもそうしたところにやってきた来た外国人は、え、禁止じゃないの、じゃあ飲むわ、というふうになる。
今、日本の社会保障制度が世界中から狙われているのと同様、母国では路上で飲まない外国人が、日本をある種の「特区」あるいは「天国」にしているようにも見えます。
で、ようやくというか、ほっといたら飲む連中がいるということを前提にした条例ができた、と。願わくばこの考え方が、保険制度はじめ社会制度すべてに波及してほしいものだと思います。
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