酒やめて、2100日。
なぜ左翼界隈の人間がダブスタになるかというと
れいわ新選組の山本太郎議員が、同党に所属する水道橋博士のうつ病に対して予想されるネット上のヘイトに対して、しかるべき処置をとるとコメントしたそうです(参照「れいわ、休職発表の水道橋博士議員へのSNS中傷をけん制 悪質書き込みに対応」)。これ自体は至極もっともなことだと思いますが、過去に山本議員は、安倍首相(当時)に対して「またポンポン痛なるんちがうかな」(下ツイート)といった発言を行っており、まあダブルスタンダードも甚だしいとネット上では非難が巻き起こっています。むろんこれは、すべての潰瘍性大腸炎で苦しむ方へのヘイトです。
この手のダブルスタンダードは、左翼界隈の野党議員やメディア(朝日新聞など)で顕著なもので、イデオロギーのためなら人間として当たり前に持っていなければならない理性や倫理観も狂ってしまう、要はゲスになるということなのでしょう。
で、イデオロギーのために理性が曇り人格が劣化するという事例は実はアル中→断酒者の周りにもありまして、今回はそこのところを話したいと思います。
さて、山本太郎が行ったような病気に対するヘイトは、人類の歴史とともにありました。そしてたとえばハンセン病に対する差別と、ある特定例としての克服は人類の歴史を変えてきました。イエス・キリストや光明皇后の奇跡、あるいは石田三成の大谷吉継に対する友情などは確かに歴史を動かしたと言えるでしょう。ただそのようなことが起きるのは差別ありきだったから、ですよね。
繰り返しますが、そうした病気に対する差別を、キリストや光明皇后や石田三成といった一部の例を除いて人類はずーっと行ってきて、それをようやく全人類的に克服したというのが現在の「到達点」ではないかと思われます。そうしたなかで、驚くべきことに「ポンポン」のようなゲスいことを気軽に言ってしまう人がまだいる、と。
「ネアンデルタール」を発見できるんだから安いもんです
この気軽に、ということに関しては、アル中、アル依、あるいは元アル中に対する差別あるいはヘイトも同じです。いつも書いていますがアル中は病気であり、うつ病やハンセン病と同等に扱われなければいけないものです。にも関わらず、ある種の人から、気軽に「あいつはアル中だ」と言いふらされてしまいます。そして仕事にも実害を及ぼします。アル中起因の実害が発生しているのに、それにますます拍車がかかるというわけです。
私は今回、一時はガン宣告を受けたのですが、それをその手の輩に知られると「あいつはガンだ(だから仕事ができない)」と言いふらされるリスクがあり、自分の病状についてはセンシティブにならざるをえませんでした。アル中もそうだと思います。だからこそカミングアウトできずに苦しんでいる人もいるわけで。
でもって、「あいつはアル中だ」と言いふらす輩は、自分が適正に飲んでいるということを信仰しているがゆえに理性が曇り、人格が劣化するのです。この場合の「適正飲酒」は、山本太郎や朝日新聞における「イデオロギー」と同じ位置づけとなります。
そういう輩に対する対抗策(?)ですが、人類が長い歴史のなかで克服してきた成果をいまだに共有していない別の人類(参考「今の人類を宇宙人の視点で見てみると、いろいろ言い得ておもしろいという話」)、ま、ゆーたらネアンデルタールであると「区別」すればいいのですね。そうした「病気へのヘイト」をもって、その人間の人格を推し量ることができ、ともにことを成すことができないと判断できるのだから、それがメリットといえばメリットなわけで(笑)。この伝で行くと、病気ヘイトする人間に国の未来を託そうとは、ねえ。やっぱり。
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