「心配ごとの9割は起こらない」をアル中→断酒erの視点で分析してみると。

酒やめて、2692日

酒さんが心配事をつくり出すのですよ

「心配事の9割は起こらない」という名言があり(もともとは禅僧の枡野俊明氏の著作タイトルであり、禅の教えらしい)、おそらく真実なのでしょう。というか、私もある程度それを実感しています。

ただし、このことの逆のものとして「治において乱を忘れず」といった諺もあり、これはリスクマネジメントの必要性を説いたものでしょう。じゃあどっちなんやということで、なかなか人生は難しいものがあります。

ただし「心配事の9割は起こらない」というテーマについてアル中→断酒erとして思うところがあるので、その構造分析みたいなことを行ってみたいと思います。誰にも頼まれていませんが。

飲酒時代は心配事が起きるかどうかはともかく、心配事そのものは多々ありました。

これも今思えば、酒さんの巧妙な戦略であり、心配事があると酒を飲みたくなり、それを酒で忘れたくなります。

さて問題はそれが実際に起きるかどうか、です。私の場合は、起きていました。とても「心配事の9割は起こらない」といった心持ちにはなれませんでした。これには、二つの理由があったと思います。

飲んでいた時代は「心配」においても異常だった!?

まず飲酒習慣があると、①心配事の母数そのものが多くなります。それも、酒さんに仕向けられた心配事です。心配しなくてもいいことまで心配するメンタリティになっていた。そして母数が多ければ、それが起きる可能性も当然高くなります。

もう一つは、②酒を飲んでいると、心配事に対するリスクマネジメントができないので、心配事が実現してしまうということですね。心配事に対してリスクマネジメントするためには時間と経済力とエネルギーが必要ですが、酒はこの3つを徹底的に奪っていきます。

この②が①につながります。つまりその「心配事が実現した」印象を、酒さんによって魔改造された脳は、いわば負の成功体験として覚えていますので、ここまた必要以上に心配事をすることになり、それが当然のように酒を飲む原動力になる。とまあ、そういうスパイラルが起きていました。まさに酒さんの思うツボですわ。

で、酒やめた今となっては、「心配事の9割は起きない」と聞けば、まあそんなものかなと思えるようになりました。それは、①のケースとは逆に、諦観ベースの楽観があるので、別に起きたら起きたことだということでさほど心配しない。したがって母数が少なくなる。そして当然のように②の逆も真なりで、リスクマネジメントができる。しかも、母数が少ないからそれがしやすい。そうしたことは、とくに意識したものではなく、そのようなライフハックができる生き方になっていく。

と、それって普通の人が普通にやっていることなんですねー。すなわち普通の人にとって「心配事の9割は起きない」が真実であるならば、断酒erもやっとそれに近づけた。つまり飲んでいた時代が、「心配」という物差しを使って分析(?)してみても特殊だったということを言いたいのでございました。

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