酒やめて、1298日。
「説教」はあまりにも無力です!
マドンナのヒット曲に「パパ・ドント・プリーチ」というものがあります。私はジジイなのでこの曲のヒットをリアルタイムで知っていますが、結構、当時話題になりました。未婚の母のことを歌ったものですね。これです(YouTube)。
この曲がヒットした1986年は、世がバブル絶頂へと向おうとしていた頃で、女性の感性といったことがクローズアップされている時代でした。女性ターゲットマーケティングなんて言葉もありましたし、西武セゾングループは「今、どれぐらい女の時代なのかな」というコピーで広告広報展開していました。
そしてこの「パパ・ドント・プリーチ」は、マリリンモンローの再来を思わせるセックスシンボルとしてマドンナから、「強い女」のアイコンとなるきっかけの曲ですね。その向うところの頂点のひとつが「エクスプレス・ユアセルフ」(1989年・YouTube)で、ここに至ってマドンナは男性よりも圧倒的に女性の支持を得るようになりました(私の記憶というか考えでは、ですがw)。確かその頃、通っていた英会話スクールの先生(アメリカ人女性)が、マドンナの強烈な信奉者でした。
私は男ですから、「パパ・ドント・プリーチ」の歌詞内容にはあまり興味を惹かれなかったのですが、ただ、それまでお勉強とあまりは縁のない人生を送ってきたので、ブリーチ(preach)という単語が「説教」という意味だということを、この曲ではじめて知った次第です。そういう意味では記憶に残っています。
先日、このプリーチ=説教について書かせていただきました。今や何の対価も払わずに、自分が気持ちよくなるために説教(あるいは自分語り)するのは社会的にNGだという説(?)です(参考「酒飲んで人に説教する人間は、「聞いてもらっている」というサービスの対価を払うべきだ!」)。
酒飲まないと、諦観ベースで対処できるから
それでは、と思います。親が子どもに説教するのはありやなしや、と。これは当然、子どものためを思ってであり、「パパ・ドント・プリーチ」に出てくるマドンナの(?)パパもまさにそうです。
そして当然ながら、人生が上手くいくようにとのアドバイスとしての側面を持っています。マドンナも歌詞のなかで、プリーチではなくアドバイスがほしいと訴えています。
私としても、子育てに際しては、とくに進路などはそうしてきたつもりでいました。
ただですね、先日の紹介したこの記事(参照「ダメ出し上司の脳は”快楽物質” が大分泌」)を読んだとき、冷水を浴びせられた気分になったのです。自分がパパとしてしてきたプリーチは、子どものためという大前提はあるのですが、もしかしたら自分が気持ちよくなるために行っていたのではないか、ということです。
それはほんとに恐ろしいことです。脳内物質が出ていたのかいなかったのか。
酒と説教は悪縁でつながっていますので、飲みながらは、そうだったのかもしれませんし、いつも書いているように、飲酒習慣が脳に組み入れられると、飲んでないときも、思い込みの強い脳になります。だから自分のための説教をしていたかもしれません。
怖ろしいことです。
そうした意味では、飲んでなければ、それが本当に子どものためなのか、脳内物質を出してないかどうかを逐一チェックすることができ、その点でも断酒の意味があるのではないかと思います。
さらにいつも書いてるように飲んでない頭、飲酒脳になってない頭で考えたこと、行ったことはすべて自分で責任を持てますので「怖さ」は発生しません。
あと子どもについて言えば、やっぱり断酒するといろんな意味で執着がなくなり、それは子どもの進路についてもそうです。もう何を言っても無駄なのだからというあきらめとはちょっと違っていて、ある種の諦観ベースでものを考えたりできるんですね。
そしてそれは私の場合、断酒して初めて手に入れたものだったのです。