酒やめて、3242日

「話し合いで解決を」のなんと無力なことよ
ちょっと前ですが、日本にいるイスラム教徒らしき人間が吉祥寺北口のバス乗り場で礼拝を行い、交通の混乱をもたらしたことがX上で話題になりました。実際にはイスラム教徒かどうかはわからず、真相は不明なのですが。
ただ、吉祥寺北口バス乗り場といえば〇東バスと西〇バスですよね。よくぞ、関〇バスの運転手に喧嘩を売るような真似ができたもんだと、多摩地区に住んだ経験がある私としては思ってしまいますよ。一部で単なる酔っ払い説(イスラム教徒擁護説?)もあるようですが、地元民にはとてもじゃないけどできない行為でしょう。
それはともかく、メッカに向けて礼拝するのは、イスラムの戒律すなわち神が決めた絶対規範であり、たとえそれが日本社会にとって不都合なことであっても、テレビに出ているコメンテーターの得意フレーズ「話し合いで解決を」ということは、それこそ絶対にできないものです。これは、普通の日本人である私でも断言できます。
土葬できる墓地を要求するなど、現在、イスラム教徒が日本において「郷に入れば郷が従え」な態度を取っているのも、当たり前といえば当たり前な話であり、そこには歩み寄る余地が存在しない……。ところがですよ、彼らは日本では酒を飲んだりします。私もイラン人と一緒に飲んだことがあります(参考「「無頼」から「スマート」へ。そうした時代の変遷のなか、酒は決定的に旗色が悪いようです」)。これには、あれれれ、と思います。飲酒禁止もまたイスラムの絶対規律ではないのか。
飲酒禁止は絶対規範ではないのか?
この辺りは、戒律にも「レベル」のようなものもあるらしく、礼拝や豚肉禁忌は先に挙げたように「絶対」だけれども、飲酒はそうでもないともいいますし、宗派、本国の状況、また個人の信仰度合いによっても異なるらしいです。イランとインドネシアは比較的辺緩やかだといいます。
また、日本に来て飲むような人は、本国でも大っぴらじゃないにせよ飲んでいるのかもしれませんが、ただ日本に来ると「大っぴら」になります。
でもって、それって都合よすぎじゃね、と私は先ほどから申し上げているのであります。
日本に来て、「郷に入れば郷が従え」を日本社会に押し付けているのにもかかわらず、酒に関して言えば「郷に入れば郷に従え」になっているのですよ。
で、そのようになるのは、当然ながら酒さんの魅力、あるいは魔力が強いということでもあります。
というふうに長々と書いてきましたが、結局、何が言いたいかというと、厳しい戒律があり、日本に来てもそれは絶対に曲げられないと主張するイスラム教徒でさえ、酒に関しては、それが緩む、ということです。そして酒を禁忌とするイスラム教徒でさえ手を出してしまうところの酒さんを、絶対禁忌にしている我々断酒erはやはり「上級人類」なのだった、というオチ(?)でございました。
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