酒やめて、3032日
貧困は社会の問題で貧乏は個人の問題!?
タイトルですが、貧困と貧乏の違いをAIニキに訊くと、以下のようにまとめてくれます。
「貧乏」は個人の一時的なお金の不足を軽いニュアンスで表現するのに対し、「貧困」は社会的な問題として、慢性的かつ深刻な生活の困窮を指します。たとえば「貧乏だからラーメンばかり食べてる」というのはカジュアルですが、「貧困のため栄養失調に陥っている」は深刻な社会問題を表わします。
「貧困は社会的な問題」という指摘は以前からあり、AIニキの意見もまさにそれを裏付けており、一方、貧乏は個人の問題と言えるわけですよね。ただしAIニキは「貧乏はカジュアル」としていましたが、当然ながらそんなもんじゃねーだろーとも思います。
そこから個人的に考察を進めると、貧困は絶対的なものであり、貧乏は相対的なものということになるでしょう。つまり貧乏には主観的な物差しが用いられるのです。
たとえば高度経済成長においては、「隣の芝は青い」などという言葉に代表されるように、お隣さんと比べて自分が貧乏(あるいは裕福)だという主観的思いを多くの人が持ち、それで日本中の人が一喜一憂していた事実がありました。そうした競争心のようなものが、日本の高度成長を促したこともまた事実でしょう。
ところが今、成熟の時代(を通り越して縮小の時代)では、何がその主観的思いを規定するかというと、周囲ではなく自分の欲望と比べてということになるのかなあと考えたりするのですよ(格差が大きくなりすぎて、周囲と比べても仕方なくなったという背景もあるが)。
私などもめちゃ経験があるのですが、欲しいものがあって、でも金がなくて手に入らないとなると「貧乏感」みたいなものが非常に強く、なんというかみじめになります。
欲望が経済的に満たされないから「貧乏」になる!?
さらに考察を進めると、そうです、ここで酒さんというところものの登場ですね。以前も書いたことがありますが(参考「「飲みたいのに金がない」は、人生の中でもかなり危険な事態かと」)、酒を飲みたいという欲望は、アル中までは行かない飲酒者にとっても非常に大きなものであり、経済的理由でそれができないとなると絶望につながります。そして他者に集り酒をするといったような、通常あまり考えられない行為に走るわけですよ。
そもそも飲酒という欲望を満たすゆえに経済的な問題を抱えるのは、飲酒が嵩じると誰にでも訪れることであり、私などを非常に身につまされるところであります。つまり完全に負のスパイラルに入ってしまうのです。このあたりはニワトリが先かタマゴが先かの話でもあるのですが、ともあれ、このような欲望と経済的事情のギャップの悲劇度はかなり高いです。
でもって、酒をやめると欲望全般がシュリンクします。なぜなら、それまで一番大きかった飲酒欲を無理くりにでも抑えるので、他のものに対する欲望も小さくなっていく。これはことモノに対してだけでなく、「他者に対する期待」という点でもそうです。
つまり、大げさに言えば煩悩から解放されるのですね。プチ解脱状態です。
なので、そういう境地に達すると、私のように収入が少なくても、「貧乏」を感じることなく、つまりみじめな心持ちにならず生きていける、絶望を感じず生きていけるというのがやっぱり大きいのなあ、と。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。