「死ぬまで働け」の時代においては、生き方を根本的に考えなければいかんよね。飲酒も含めて。

酒やめて、2784日

加齢と酒が脳を壊す!?

ちょっと前ですが、バイデン米大統領がゼレンスキー大統領のことをプーチンと呼んだそうで、いやいやいや、これって結構恐ろしいことです。バイデンさんは以前から認知症疑惑があって、おそらく疑惑だけではないのでしょうが、こんな人に核ミサイルのボタンを任せて大丈夫なのかと素朴に感じますわ。

民主党大好きな米日のメディアは、それでもトランプに比べればマシといった論調でしたが、今は全力応援の対象としてのハリスさんの存在にほっとしているのではないでしょうか(ざっくり)。ちなみに私は、トランプさんが大統領になって、コロナ禍における「中国の罪」を徹底追及してほしいと思っております。

とまあそれはともかく、人の名前を間違えるのは、認知症的にいえばいろんなケースがあるといいますが、ヤバいことは事実でしょう(ざっくり)。そして私の周りにもそういう人はいます。この人の場合、バイデンさんと違って長年付き合ってきた仕事仲間の名前を間違えたとのことで、核ミサイル並みの怖さを感じてしまいました。間違えられた仕事仲間は、まあ加齢と酒だろうねと冷ややかに言い放っていましたが。加齢で脳が萎縮していくのは仕方ないにしても、酒はそれを加速させます。

また一度、脳が萎縮しているという噂が立ってしまうと風評被害も受けてしまう。私もアル中時代、あいつはアル中で脳が委縮していると触れ回られて苦慮しました。そのとき、顔見知り程度の女性から「やっぱ手とか震えちゃうんですかあ?」と興味津々で訊かれたので、「ええ震えます震えます、なんなら顔剃りしてあげましょうか」と申し出て、どん引かれたこともあります。

ジジイの剥き出しの感情は受容されないのだ

さて、一昨日も書かせていただきましたが、自営業者という存在は以前から「死ぬまで働け」でした。国民年金だけでは暮らしていけないのでそうせざるを得ない、というか、国民年金が「働け」を前提としていました。だから床屋経営のおじいちゃんなんかは、そうしていたのでしょう。ただ、今はそれさえも通用しなくなっている、と言えます。

私が子どもの頃は、床屋というのは怖い場所でした。なんだかんだで怒られながら髪を切ってもらっていた記憶があるし、実際、今でもよく覚えているのですが、床屋のラジオで中継していたドラフト会議で巨人がお目当ての選手を獲得できず、それで床屋のジジイがめちゃくちゃ機嫌が悪くなって八つ当たりされたこともあります。つまり、床屋のジジイはジジイ特性丸出しだったわけですよ。

しかしそれでも「通用」していたのです。怒られながら髪を切られているガキも、それが当たり前だと思っていた。床屋とはそういう場所だと。

余談ですが、アル中の床屋のジジイが顔剃りするときは一杯飲む、みたいなギャグ(?)があるけれども、実際のところどうしていたのでしょうか。手震え経験者としては気になるところではあります。

ところが今は、ジェントルでロジカルな時代ですから、昔の床屋のようなやり方は、むろん通用しないでしょう。ジジイのむき出しの感情は受容されなくなっている。ということは、ジジイとしては、いつまでも理性を保てるようにしなくてはならないのです。加齢で脳が劣化するのに、それに加えて酒をコンボさせるわけにはいきません。

いや、ジジイだけではないです。若者にしたところで、寿命が尽きるまで脳が健康ということを前提に、すべての人生設計を行う必要がある。となれば、酒さんの地位はますます没落していくのは必然ですよね。

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