たとえ少量でも毎日飲むとそれは適正飲酒でない理由を、断酒者なりに考えてみると【余計なお世話ながら】

酒やめて1798日。昨年末に中田敦彦さんの再飲酒についての記事を書かせていただきました(参考「中田敦彦さんの「断酒やめた」を、元アル中としてせつなく思う理由」)。中田さんは毎日ワイン一杯だけ飲むことにしたそうです。これは量的に考えれば「適正」なのでしょう。

計画的にやった方が、実は人生が「単純化」することにあらためて気づいた断酒者がここにいますよ(苦笑)。

酒やめて1796日。一昨日の記事(参考「気負わずゆる~くやればいいんですよ。今年は「坦坦」「淡々」をさらに追究したいと思います。酒飲まずに」)で小田嶋隆さんの『上を向いてアルコール』から引用させていただきました。

気負わずゆる~くやればいいんですよ。今年は「坦坦」「淡々」をさらに追究したいと思います。酒飲まずに。

酒やめて1794日。正月というのは断酒者にとっては鬼門というか、私も今年の2月で断酒まる5年ですが、年毎に「正月ウザイ」感が高まっています。年末年始なので仕方なく実家に行くと、妹夫婦とその子たちが飲んだくれているし、その喧噪の中に身を置くとなんだかいら立ってしまいます。

やっぱり「飲酒は損ですよ」を、年の終わりにあらためて確認しておきたいと思います。

酒やめて1792日。ちょっと前に書いた「中田敦彦さんの「断酒やめた」を、元アル中としてせつなく思う理由」で、「俺は飲んでもいい人間だ( ー`дー´)キリッ」という輩を登場させました。その輩はそれでなにか自分が特別な人間になったつもりでいるのかもしれません。

「断酒」は人生最高の手札になるという仮説。

酒やめて1790日。二個前のエントリーに、中田敦彦さんの「断酒やめた」について書かせていただきました(参考「中田敦彦さんの「断酒やめた」を、元アル中としてせつなく思う理由」)。思いのほかPVがアップしましたので、今回あざとくもその続きというか言い足りない部分を書いてみたいと思います。

なぜ社会が酒に厳しくなったのか、その理由を突き詰めると、今の日本の世相が見えてくる!(のか?)

酒やめて1784日。ちょっと前に「酔った勢いの「社会悪」って、今、どこまで許されるんでしょうかね?」といった記事を書かせていただきました。明らかに今、社会は酒で「やらかす」ことに、ひいては飲酒行為そのものに厳しくなっています。

ジェントルになっていく世の中で、酒ってどうなのよ、という話。

酒やめて1782日。ちょっと前に、安倍元首相の台湾有事についての発言をめぐって中国が声高に批判しました(参照「中国、安倍氏の台湾発言に抗議」)。記事にありますが「必ず頭を割られて血を流すだろう」という暴力団みたいな、あるいは未知やすえさん(@吉本新喜劇)みたいな言葉で、です。

山田勝彦議員謝罪会見の「私人として」がなんともやるせなく感じる理由。

酒やめて1780日。二個前のエントリーで「酔った勢いの「社会悪」って、今、どこまで許されるんでしょうかね?」という話を書かせていただきましたが、書いていて元アル中→断酒者の心の琴線に触れる(?)文言がありましたので、その点についてちょっと考察してみたいと思います。